最新テクノロジー×地道な伝播活動で、アビューズも理不尽もないスポーツへ【日本サッカー・マイノリティリポート】

2023年05月19日 手嶋真彦

アビューズとは「便利使い」。ヒト・モノ・カネが消えていく

(株)ユーフォリアの共同代表取締役を務める橋口。(C)EUPHORIA

 諦めることは絶対に許されない。社内でそう誓い合っているのは、スポーツの途轍もない価値を信じているから。そして看過できない負の側面を切り崩していく使命を背負っているから。壮大なビジョンを掲げるスポーツテック企業の挑戦に迫る後編。重要なキーワードはアビューズと理不尽だ。
[前編]怪我の予防からポテンシャルの最大化へ。スポーツテック企業が見据える未来と課題【日本サッカー・マイノリティリポート】
――◆――◆――

 無限の差は、微差から生まれる。日本がスペインから逆転勝利を収めたワールドカップのあのゴールが認められた時、橋口寛はスポーツの途轍もない価値の大きさを改めて噛みしめていた。

 スロー再生では、三笘薫が左足を伸ばしてクロスを折り返した最後の瞬間に、ボールはゴールラインを割っていた。いや、割っているように見えただけで、ぎりぎりライン上に残っていたと判定される。その差わずか1ミリとも言われるが、微差が大きな差を生んだのだ。

 1ミリの差が明暗をはっきり分けるトップアスリートの極限的な世界に、黒子として深く関わる橋口は知っている。スポーツがイノベーションの苗床(なえどこ)たりえるのは、微差を徹底して追求するからだ。

 橋口の想像力は羽根を広げる。限界に挑むからこそ極められる頂のような発見があり、磨き抜かれた知見やノウハウはスポーツ以外の世界にも役立てられると。

 橋口が共同代表取締役を務める株式会社ユーフォリアは、スポーツの苗床から新たな価値を創り出そうと試みる。スポーツ×テクノロジーのスポーツテックを梃子(てこ)のようにして、どのような未来を創り出そうとしているのだろうか。


 
 橋口たちが提供しているプロダクトはアスリートのコンディションを可視化できる、「ONE TAP SPORTS」(ワンタップスポーツ)と名付けられたソフトウェアだ。異常が検知されると、トレーナーやコーチなどの管理者にアラートが届く。怪我の予防だけでなく、フィットネスを本番に合わせるピーキングや、育成年代の健全な成長支援などに活用できる。

 2012年に開発を始め、現場からのフィードバックを燃料に機能を追加し、アップデートを重ね、右肩上がりでユーザーは増えている。

 橋口たちが2022年にリリースしたのは、企業の健康経営・安全管理を支援するウェルネス・プログラムの「ONE TAP SPORTS for Biz」だ。身体が資本なのは、当然ながらスポーツ選手に限らない。一般ワーカーがワンタップスポーツを活用し、体調を整え、より快適に働き、生産性を上げる。

 多少のモディファイは加えるが、微差を追求するトップアスリートの世界で培われた方法論をそのまま使う。ちなみに欧米の有力企業では、アスレチックトレーナーが工場や倉庫に常駐し、従業員の怪我予防や生産性の向上を支援する取り組みが、もはやスタンダードと言えるほどに増えているという。

 あえて枠をはみ出し、橋口たちが打ち破ろうとしているのは、スポーツがアビューズされているこの国の現状だ。アビューズは「便利使い」とも「悪用」とも訳せるだろう。例えば東京2020。1年遅れで大会が終わると、潮が引くようにヒト・モノ・カネが消えていった。

「祭りはもう終わった。これからスポーツがどうなろうと知ったことじゃない。そう言わんばかりに手を引く企業も少なくありませんでした。それもまたアビューズです。多くの人の耳目を集めるスポーツは便利使いされやすい」(橋口)

 アビューズされる理由のひとつは、スポーツのマーケットが小さいからだ。

「テクノロジーを活用する場としても、大きなマーケットではありません。自動車産業、建設業、流通業など、多くの産業と比べて、スポーツの市場規模ははるかに小さい。腰を据えた投資の対象にはなりにくいということです」

 アビューズされがちなのは、スポーツに価値があるから、とも言える。

「人の心をこんなに震わせるものって、なかなかないと思います。先日のサッカーワールドカップが好個の例です。人を爆発的に感動させます。翌朝目が覚めた時に力がみなぎってくるほどです」

 スポーツには感動を共有できる価値もある。時差を感じる深夜や未明の時間帯にキックオフされても、遠く離れた異なる場所から観ていても、同じチームを応援し、大金星に熱狂し、PK戦の結果に落胆し、4年後を楽しみにして、感情の大きな起伏を自然と分かち合う。

「人と人とを繋ぐ膠(にかわ)のような、あるいは触媒になる力もすごく強い。昔から世界中の共同体が原始的なスポーツを活用してきたのは、その価値を分かっていたからだと思います」

 人を幸せにできるスポーツの価値をそんなふうに挙げていき、繋ぎ合わせると多面体のようになる。橋口たちはこの多面体の計り知れない価値を信じているから、それがアビューズされている現状をそのまま看過することができない。

 マーケットが小さいなら、スポーツテックの汎用性を梃子のようにして、自分たちが大きくしてみせよう。

「イノベーションの苗床であるスポーツを起点として価値を繋いでいけば、はるかに大きなマーケットに様変わりします。その命題を我々が証明していきます」

 ただし多面体のスポーツには、それ自体の価値を損なう負の側面もある。光を吸い取る負の側面をこのまま放置しておけば、スポーツとは距離を置く人や、スポーツを嫌悪する人は減らないだろう。

 橋口たちが「人とスポーツの出合いを幸福にする」と表現している使命には、そうした現状を変えていく取り組みも含まれる。しかし、深く広がる負の側面をどう切り崩していくというのだろうか。

【PHOTO】名場面がずらり!厳選写真で振り返る"Jリーグ30年史"!

次ページ既知か未知か。未来を変える微差はそこにも

みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事