【浦和】引退を決断した鈴木啓太。「子どもの頃から、山あり谷ありだった」という人生を変えたオシム日本代表元監督のひと言、その生き様にリンクするニーチェの哲学

2015年11月19日 塚越 始(サッカーダイジェスト)

山田暢久の唇が啓太の頬に静かに近づいて…。

2010年の「週刊サッカーダイジェスト」の誌面より。このふたりの距離間、鈴木にまさかの悲劇が起きる……。写真:田中研治

  鈴木啓太が10月20日夜、自身のFacebookにて今季限りでチームを退団すると発表した。来季以降については、「他チームよりオファーをいただいていますが、サッカーを続けるかどうかも含め、もう少し考えたいと思っています」と胸のうちを明かしている(※11月22日の神戸戦後、引退することを宣言した)。
 
 2000年から浦和ひと筋16年目。在籍年数はチーム最長である。いろんな意味で、いろんな場面でチームを支えてきた、決して代えの効かぬ存在「レッズの13番=鈴木啓太」だった。
 
 これまで二度、インタビューをさせてもらったことがある。その言葉を振り返ると、今回の発表にどれだけ特別な想いを込めていたかが改めて分かる。
 
 最初は2010年のシーズン開幕直前、山田暢久との新旧キャプテンによる対談だった。趣旨はチームの生き字引と言えるふたりが浦和の歴史を振り返りつつ、新シーズンの抱負を語り合ってもらうというもの。
 
「啓太が来て11年か。そういえば……こうして二人きりで話すことなんかなかったな」(山田暢)という静岡出身コンビの掛け合いは実に軽妙で、あっという間に時間が過ぎていった。
 
 最後のツーショット写真の撮影では、「すいません、もう少しだけ、おふたりの顔を近付けていただけますか!!」というカメラマンの要求に応じ、山田が鈴木の頬にぐっと近づき、さらに横を向いて静かに唇を向けると……。

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