【ドイツ人記者レポート】規模は小さいが、やることはデカい! 武藤嘉紀を獲得したマインツの“本当”のクラブ事情とは?

2015年09月01日 サッカーダイジェスト編集部

阿吽の呼吸でつながる“2トップ”のフロントの下、クロップが改革をもたらす。

“万年2部”と揶揄されていたマインツだが、近年は中堅クラブとしてブンデスリーガ1部に定着。近年はクロップ、トゥヘルとふたりの名将を輩出。写真:Getty Images

 今夏、武藤嘉紀がFC東京から移籍したブンデスリーガ1部のマインツとは、一体どんなクラブなのか?
 
 近年、思い切った策を次々と打ち出し1部リーグに定着。フロントの時代を読むセンスは鋭く、その一貫で武藤の獲得にも至ったという。
 
 そんなクラブのリアルな実情を、現地の名物記者がレポートする。
 
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 マインツは長い間、アマチュアの3部リーグとブンデス2部を行き来し、サッカーに関しては州都らしからぬマイナスイメージを持たれていた。マインツがブンデスリーガに昇格することなど永遠に有り得ないだろうと腹をくくっている地元の人々も決して少なくなかった。
 
 大きな転機をもたらしたのが、ユルゲン・クロップだった。2001年2月、マインツで11年間に渡る現役生活を終えた長身DF(FW登録の時もあった)は、そのまま2部から3部への"再降格"のピンチに瀕していたトップチームの監督に抜擢される。
 
 するとクロップは18チーム中14位と、辛うじてチームを残留に導く。
 
 ここがマインツとクロップのターニングポイントになった。
 
 その後は血を入れ替えてチーム内の活性化を図り、2シーズン続けて、1部昇格まであと一歩の4位で終える。そして03-04シーズンに3位に入り、クラブ誕生から100年目の節目に史上初のブンデスリーガへの仲間入りを果たしたのだ。
 
 異例の33歳という若さで監督に就任したクロップは、さっそく改革を施す。
 
 95年にフランクフルト大のスポーツ科学(おもにスポーツ心理学)を修了した彼は、選手のモチベーションをいかにして効果的に上げるか、バラバラな個の特長をいかに組織としてまとめ上げるかなど、論理的に現場で取り組んだ。
 
 その人柄の良さも手伝って、選手たちの根本的な精神面からの立て直しに成功したのだ。
 
 とはいえ、本拠地のブルッフヴェクシュタディオンは2万300人収容と小規模で、経営基盤も脆弱である。そのバックボーンを鑑みれば、この幸運も1年限りだろうと多くの人が予想したものだ。
 
 しかし、マインツは違った。
 
  クロップの情熱とフロントの大胆な戦略、そして選手の漲るモチベーションが共鳴し、一度は運営上の失敗から降格したものの、むしろその経験をもその後のクラブづくりに活かし、09-10シーズンからは中堅クラブとしての地位を固めている。
 
 穏やかな紳士であるハラルド・シュトルツ会長は1988年に現職に就き、実に28シーズン目を迎えた。
 

次ページ33歳のクロップ、36歳のトゥヘルを監督に大抜擢。フロントの判断は実に早かった。

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