「僕の役割はピッチ外の部分」Jクラブのホペイロを目指すマネージャーは最後の高校選手権をいかに戦ったか?

2021年11月18日 松尾祐希

3度目の都予選決勝を戦った大成高。3年生の高橋雅史がマネージャーになったワケは?

マネージャーとして大成サッカー部を支えた高橋。監督、選手も全幅の信頼を寄せる存在だ。写真:松尾祐希

 高校サッカーに身を置く者であれば、"冬の選手権"は誰もが憧れる舞台だ。"いつか自分もあの場に立ちたい"。そう願って日々鍛錬を重ねるが、出場できるチームはわずかに48校。ほとんどの選手は夢を叶えられず、3年間の戦いを終える。
 
 これまで46校の出場が決まった今年の高校サッカー選手権。節目の100回大会を迎えるなかで、歓喜に沸いたチームの一方で夢破れた者たちが多くいる。3度目の決勝で悲願の初出場を果たせなかった大成(東京)も、そうしたチームのひとつだ。

 11月13日に行なわれた東京B決勝では関東一に0-2で敗戦。準決勝で伝統校・帝京を撃破し、勢いに乗っていたが、またしても全国舞台はあと一歩のところで届かなかった。

 選手たちがうな垂れるなか、その様子をピッチの脇から人一倍悔しそうな表情で見つめていた3年生がいる。マネージャーの高橋雅史だ。

 高橋がマネージャーになったのは1年生の時。中学時代から地区トレセンに選出され、もちろん大成高でもプレーヤーとして活躍することを夢見ていた。だが、中学卒業前に足首の手術を行なった影響で入学直後はチームに合流できず、リハビリに励む日々。仲間たちがボールを蹴る姿を見守る一方で、次第に焦りが生じた。結局プレーヤーとしての可能性を見出せず、サッカーとの関わり方をどうすべきか考えていくようになった。

「人数が多いのでレギュラーになるのは難しい」
 自分の可能性を悟った高橋に転機が訪れたのは1年生の夏休みだった。

 何気なく見ていたYouTubeでスパイクの管理などを主に行なうホペイロの存在を知ったのだ。特に影響を受けたのは京都サンガF.C.の松浦紀典氏と横浜F・マリノスの緒方圭介氏だった。そこからプレーヤー以外の選択肢を持つようになり、マネージャーとしてチームを支えたいという想いが芽生えた。

 それから1年近く悩んだ末、2年生の春に監督へ想いを伝える。ただ、この時点ではまだ選手として可能性を完全に捨て切れていたわけではない。気持ちの整理をするべく、選手としてプレーしながら、空いた時間でマネージャーの仕事を行なった。

「葛藤がかなりありました。めちゃくちゃ考えて、自分の中では葛藤があったからこそ、最初は選手とマネージャーを掛け持ちする選択をした。もしサッカーをやりたいと思ったら続けて、裏方として頑張ることがチームのためになると思えば、マネージャーに専念する」
 

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