中学時代、レギュラーではなかった林大地が世界大会決勝でスタメンに抜擢されると…。【東京五輪メンバーのルーツ探訪】

2021年07月28日 古沢侑大(サッカーダイジェスト編集部)

世界大会の決勝でスタメンに抜擢されると…

大阪体育大時代の林。3年次の関西サッカーリーグ1部では22試合・24得点と圧倒的な成績を残した。写真:滝川敏之

 東京五輪で悲願の金メダル獲得を目指すU-24日本代表。全世界注目の戦いに挑んでいる彼らは、この大舞台に辿り着くまでどんなキャリアを歩んできたのか。

 ここで取り上げるのは林大地だ。ガンバ大阪ジュニアユースに所属していた中学時代はレギュラーではなかったが、当時から勝負強さは際立っていた。それを象徴するエピソードが――。

――――――――――――◆―――――――――――――◆――――――――――
 
 先述したとおり、G大阪Jrユース時代、林はレギュラーではなかった。ムードメーカーとしてはチームの中心にいたものの、試合になると……。当時指導していた鴨川幸司(現FCティアモ枚方アカデミーダイレクター)曰く「細くてフィジカルが強くなかった」ので、ベンチで過ごす時間のほうが長かったという。

「技術がすごくあるわけではなく、足もそんなに速くなかったです。目立った特徴はなかったように思いますね。どちらかと言うと地味でした」(鴨川)

 同期には、市丸瑞希(現・琉球)、髙木彰人(現・群馬)、初瀬亮(現・神戸)、田中駿汰(現・札幌)ら実力者がいて、1学年下には堂安律(現PSV)、食野亮太郎(現リオ・アヴェ)ら逸材が揃う。

 この中でスタメンを勝ち取るのはなかなか難しかった。

 では、林はG大阪Jrユース時代にインパクトを残せなかったのか。いや、そんなことはない。今の彼を象徴するようなエピソードがひとつある。中学3年生の時、チームが日本の代表として参加した世界大会での話だ。鴨川はこう述懐する。

「順調に決勝まで勝ち上がって、ファイナルはそこまでに敗れた全チームの選手たちが見守るなか立派なスタジアムで行なわれました。その試合を前に怪我人が出たので、控えメンバーだった大地を急きょスタメンに抜擢しました。そうしたら見事なゴールを奪って。勝負強さには感心しました」
 

次ページ中学生の時は「ビースト」というあだ名はなかった

みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事