「今年の夏がラストチャンス」古橋亨梧の26歳での海外挑戦がベストタイミングと言える理由

2021年07月18日 多田哲平(サッカーダイジェスト)

神戸に加入した当初はレベルの差に驚愕したという

サポーターに別れの挨拶をする古橋。目には涙が。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

 2020年1月1日、古橋亨梧は酒の臭いを漂わせながらインタビュー用の部屋に現れた。

 もちろん一杯引っ掛けてから取材に臨みにきたわけではない。

 新国立競技場のこけら落としの日でもあったその元日、ヴィッセル神戸は鹿島アントラーズとの決勝に勝利し、天皇杯で優勝していた。しかもクラブ初タイトルとなれば、その喜びは格別。まだ新型コロナウイルスという忌まわしい感染症が流行る前でもあったから、ビールがけは大いに盛り上がり、古橋も全身で勝利の美酒を味わったのである。

 その優勝記念インタビューで古橋はこう言っていた。

「相手にとって嫌な選手に少しでもなれている手応えはありますね。でもここからは、どんなにアグレッシブに来られても、もっといろんなアイデアを出して突破していけるようにならないと。今回はチームメイトに助けてもらって、優勝という最高の結果を得られたけど、次は僕がチームを勝利に導くゴールを奪いたいです」

 チームを勝利に導くゴールを奪う――。これは20年8月に取材した際に古橋が話していたエースの条件でもある。

 天皇杯優勝の19年シーズンはリーグ戦31試合・10得点。翌20年シーズンは30試合・12得点。そして今季は、21試合消化時点でリーグ単独トップの15得点をマークし、チームの上位進出(3位)に大きく貢献。言葉通り、まさしくチームを勝利に導くエースとして、成長していったのだ。
 
 古橋が神戸に加入したのは18年夏。当時J2のFC岐阜で、その快足を生かして絶対的な得点源として活躍していた姿が、神戸の強化部の目に留まり、個人昇格を果たした。

 しかし、初めはレベルの差に驚愕したという。天皇杯優勝後のインタビューではこんなことも口にしていた。

「神戸に入った当初は、ついていくのが必死でした。J2とJ1でこんなにスピード感が違うのかって。全然周りが見えていませんでしたから」

 それでも試合を重ねながら、J1のスピード感に徐々に慣れていった。またアンドレス・イニエスタ、ダビド・ビジャ、ルーカス・ポドルスキという世界のスター選手とともに過ごす日々で、技術や判断力、そしてプロとしての心構えを学んでいった。

「でも出番をもらえるようになってちょっとずつ試合勘も出てきて、それから段々と自信もついて、余裕を持って色々考えながらプレーできるようにはなりました。まだまだ足りないところは多いですけど、ポジショニングだったり、守備の仕方だったり、攻撃のスイッチの入れ方だったりは、以前に比べたら少しは良くなったのかな」
 

次ページひとつずつ階段を上ってきた古橋だからこそ…

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