「8番がこれほど自分を成長させてくれるとは」。欧州移籍の川辺駿が大きな進歩を遂げた要因【広島】

2021年07月07日 中野和也

2018年、川辺を待っていたのは初めての挫折だった

欧州移籍を決めた川辺駿。これまでの成長過程のなかでは挫折も経験した。写真:滝川敏之

 川辺駿はずっと、上手くいってきた。

 広島Jrユースの時には宮原和也(現・名古屋)、浜下瑛(現・徳島)と中盤のトライアングルを組み、思うようにパスをつなぎまくった。広島ユースでも1年生の時からレギュラーを張り、高円宮杯プレミアリーグで2度の優勝。高校3年生でJリーグデビューした時も、まったく物怖じせずに自分のプレーを表現した。

 彼がプロに昇格した時の広島が4年で3回優勝の黄金期にあったこともあり、出場機会を求めて磐田へ移籍(期限付き)したが、そこでもJ1復帰に貢献するなど実績を残した。

 どんなレベルであっても、それなりの結果を出してきた。世代別代表では目立った実績を残せていないが、それは巡り合わせもある。少なくともクラブベースでは順調だった。
 
 だが、常に順風満帆に、右肩上がりに成長できるほど、人生は甘くない。2018年、磐田で培った自信を胸に広島に戻った川辺を待っていたのは、初めての挫折だった。

 就任1年目の城福浩監督は、前年の広島が陥った「残留争い」を回避させるべく、現実的な路線を引いた。攻撃はパトリック(現G大阪)を軸としたカウンターを磨きに磨き、「4-4」のブロックで堅守を構築する。このやり方の場合、センターには守備の強度が求められる。キャンプでの成果を見てボランチに採用したのは、青山敏弘であり稲垣祥(現・名古屋)だった。

 ただ、川辺の持つ攻撃力をなんとかチームに活かしたいと指揮官は、彼をサイドハーフでの起用に決めた。「守備の時はサイドのスペースを埋めてくれ。攻撃は自由に、どんどん中に入ってきていい」と若者に指示を出したうえで。

 この戦術に、川辺は戸惑った。いくら攻撃の時は中に入っていいと言われても、スタートはサイド。見慣れない景色に、プレーの選択に迷いが出た。開幕スタメンは勝ち取り、2節の浦和戦では逆転勝利の起点にもなった。だが、プレーはやがて精彩を欠き、5節の川崎戦からスタメンを外れる機会が多くなった。

 川辺をベンチに置いた広島は圧巻の堅守速攻によって快進撃が続く。26節には2位の川崎に勝点9差をつけるなど、首位を独走。その後の大失速により2位で終わったものの、前年の15位から躍進を遂げた。だが、そこに川辺の存在感は薄かった。

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