【独占ロングインタビュー】酒井高徳が語るシュツットガルトでの3年半|前編

2015年05月19日 遠藤孝輔

判断スピードは日本時代より速くなっている。

シュツットガルトで4年目のシーズンを終えようとしている酒井高徳。12年1月からの3年半を振り返る独占ロングインタビューを、前編・中編・後編の3回に渡ってお届けする。 (C) Getty Images

 約束の刻限まで20分――。春の陽光に包まれたレストランのテラスに、すでに酒井高徳は姿を見せていた。
 
 待たせたことを詫びようとしても、彼はまったく意に介さない。むしろ「気持ちのいい天気ですし、このまま外でいかがですか?」と促すと、予定時間をはるかにオーバーすることになるインタビューは始まった。
 
 同席したのは、2011年1月から13年7月までシュツットガルトのトップチームに帯同していた指導者で、通訳のサポートなどもこなしていた河岸貴氏。現在はシュツットガルトのフロントスタッフとして活躍する同氏に明かした本音を含め、ブンデスリーガで長らく活躍する日本代表サイドバックの声に耳を傾けていただきたい。
 
インタビュー:遠藤孝輔
協力:河岸貴(シュツットガルト国際部門)
 
――◆――◆――
 
――シュツットガルト入団から、まもなく3年半を迎えます。ドイツに来てから、成長を実感している部分はありますか?
 
酒井高徳「ドイツで教わったと言えるのは球際の激しさです。1対1に勝つ喜びは日本ではなかったけど、ドイツは大柄な選手が多いので、身体をぶつけ合いながら五分のボールを奪ったりできると、すごく喜びを感じますね。自分のステータスが高まっているなって。
 
 あとはプレースピードが上がりました。考えるスピード、判断スピードは、日本時代より速くなっています。ブンデスリーガはプレーテンポが速いので」
 
河岸貴「つまり、インテンシティの高い展開にも対応できるようになった」
 
酒井「そう、そういう時でも脳が働くというか」
 
河岸「ゴウ、覚えている? シュツットガルトでデビューする前日のこと。ブルーノ(ラッバディア監督=現ハンブルク)とエディ(セゼル・コーチ=現ハンブルク)に呼ばれて、一緒にビデオを観せられたよね」
 
酒井「俺が思わず『遅い』って口に出した時でしょ。本当に思ったからね。Jリーグのテンポがちょっと遅いって」
 
――デビュー前日に、Jリーグの試合を見せられたんですか?
 
酒井「俺のJリーグ時代のプレー集を見たんです。監督、コーチ、タカさん(河岸氏)、俺の4人で。で、その動画を用意してくれたブルーノから『お前のこういうプレーがいいんだ』って言われて」
 
――ドイツ・サッカーに触れて間もない頃、すでにJリーグは遅いと感じたのですか?
 
酒井「そうですね。まだ、ドイツに来て2か月くらいでしたけど、キャンプなどで感じていました」
 
――そのプレーテンポに、最初は戸惑いましたか?
 
酒井「戸惑いというより、これに慣れなきゃと。このテンポがベースだと思いましたから。ちょっと(判断が)遅れただけで、相手にガツンとやられたり、すぐに囲まれたりしちゃって。すぐ焦ることが多かったです。
 
 それから、最初のキャンプは練習をこなすので精一杯でした。毎日ずっと筋肉痛に悩んでいたほどです。あの時は内転筋がいつ切れてもおかしくないってくらい。初日から最終日までずっと筋肉痛でしたね」
 
河岸「ブルーノが選手を追い込むタイプの監督っていうのも大きかったでしょ」
 
酒井「キャンプだから少しきつめの練習というのもあったよ。とにかくしんどかったから、キャンプが嫌いになりましたもん(笑)。
 
 ただ、あの頃のプレースピードは自分自身で遅いって分かっていた。だから、シュツットガルトの選手たちとキャンプを過ごして、その後に1か月くらいの練習をこなした後、改めてJリーグ時代のプレー集を見てみたら、うーん、遅いなって感じたわけです」

次ページイライラする時もあるけど、準備だけは怠らないように。

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