挫折の連続を経て…J1王者から掴んだ入団内定。流通経済大DFはなぜ川崎からのオファーを信じて待てたのか?

2021年05月30日 安藤隆人

川崎入団内定のDF佐々木旭が歩んできたサッカー人生とは?

来季の川崎入団内定を掴んだ流経大のDF佐々木。スピードと豊富な運動量を生かしたアップダウンが武器のサイドバックだが、中央のエリアでチャンスメイクやフィニッシュにも絡んでいく。写真:安藤隆人

 来季、川崎フロンターレ入りが内定している流通経済大のDF佐々木旭は、見ていて飽きない選手だ。左サイドバックを主戦場とする彼は、高い位置に張り出して縦に仕掛けるだけでなく、斜めに中央のゾーンに入っていき、ボールを受けてはディフェンスラインの裏、FWへのクサビ、そしてサイドチェンジと多彩なパスで攻撃の起点にもなる。

 上下動の質と量も凄まじく、ダイナミックにサイドをスプリントしたかと思えば、中央に潜り込んでボールを捌いてからそのままゴール前になだれ込んで行くなど、プレーエリアが広大なのが特徴だ。加えてただ運動量が多いだけではない。判断の質も優れていて、相手が目線を切った瞬間にスペースに潜り込むのだから、相手からすると顔をむけた瞬間に「そこにいる」という非常に厄介極まりない存在でもある。

 川崎の他に複数のJ1のクラブが正式オファーを出していた高性能サイドバックは、どのような人物像なのだろうか。そのルーツと人間性に迫った。

「正直、自分が今の状況になるなんて思ってもみませんでした」
 
 自分のサッカー人生を振り返った時に、真っ先に表に出たのはこの言葉だった。埼玉県川越市で生まれ育った彼は、EC Jogadorから静岡学園高に進んで選手権に出場をした先輩に憧れて、自分も同じ道に進むことを信じて疑わなかった。だが、「2度受験して、2度とも落ちてしまいました」と、試験をパス出来なかった。

「今思うとサッカー的にも当時の僕の実力では厳しかったと思いますが、その時は静学に進むことしか考えていなかったので、実際に落ちた時は物凄く恥ずかしかったし、応援してくれた周りに顔向けができない状況でした」

 だが、静学を熱望していた彼を唯一待ってくれたのが埼玉平成だった。併願で受験し、サッカー部からも「静学がダメだったら来て欲しい」と言われていた。

 ちょうど埼玉平成はスーパーサッカーコースを設立した年で、サッカー部の強化に力を入れていた代。かつて武南高の黄金期を支えて、卒業後は川崎フロンターレ、ヴァンフォーレ甲府でプレーした浦田尚希監督が就任し、個を磨くサッカーで3年間を過ごした。

 全国大会には一度も出ることができず、県予選の最高成績は高2の時のインターハイ予選ベスト8で、リーグ戦も県2部だった。
 

次ページ転機が訪れたのは高3のインターハイ予選だった

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