「本当に41歳なのか?」新天地でも問合せ殺到。移籍のキーマンに聞く!本山雅志とマレーシアサッカー界の現在

2021年05月20日 渡邊裕樹(サッカーダイジェストWeb編集部)

国民的スポーツの「サッカー」がマレーシア・ムスリムとの懸け橋に

新天地でも背番号「10」を背負う本山。(C)Yakult Malaysia

 日本サッカー界に燦然と輝く黄金世代。その代表格のひとり、本山雅志が今年3月上旬から始まったマレーシア2部リーグのクラブに移籍した。新天地でも「10番」を背負い、先日は2つ目のアシストも記録。そんな本山が挑戦した、マレーシアのサッカーの現状とはいかなるものなのか。

 本山が所属するクランタン・ユナイテッドFCのパートナーを務める飲料大手のマレーシアヤクルトの濱田浩志社長に現地の状況と、本山移籍の経緯を聞いた。

 濱田氏は、総合商社を経て、30代半ばでヤクルト本社に転職し、2007年のインドネシア勤務を経て2008年からマレーシアへ渡った。マレーシアでの食習慣にヤクルト根付かせることを目指し、駐在期間も14年目に突入した。

 2016年に濱田氏が現職に就いて以降、マレーシアヤクルトは2017年にクランタンFCとスポンサー契約を結び、また2018年からはマレーシア代表チームのスポンサーになり、サッカー界と密接な関わりが出来ているという。

 コロナ禍以前は休日も各地に観戦に赴くなどサッカー漬けの日々を送っていたという濱田氏とマレーシアサッカーとの繋がりとは――。

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 最初は仕事からです。現在のように深く関わるきっかけは二つありました。一つはご縁と言いますか、サガン鳥栖の元代表取締役社長の牛島洋太郎氏を通じて、ユースチームの選手の使用済みのサッカーシューズをリペアして途上国の子どもたちに贈る「サッカーシューズ寄贈プロジェクト」のお誘いを受けたことです。今から6年前くらいから、裸足や普通の運動靴でサッカーをしているマレーシアの子どもたちにシューズを寄贈する活動を行なってきました。
 
 そんな中、会社のマーケティング的な観点からもサッカー界への進出を決めました。

 我々日系の食品企業がブランディングしていくにあたって、マレーシアのような厳格なイスラム圏で「食品」ブランドを浸透させてくのは非常に難しいのです。マレーシア国民の約7割を占めるムスリムの方々はイスラムの戒律である「ハラル」でなければならない「食」に対してとても保守的な考えがある故に、かなりの地元志向であり、海外からの輸入品に対して非常に警戒します。たとえハラルマークがあっても信用していないんです。そのため「日本」というコンセプトではブランディングになりません。これは日本のクルマや電化製品、そしてアニメコンテンツのブランディングとは全く違う反応なのです。

 一方で、人口の約2割強を占める中華系のマレーシア人はその逆で、海外からの輸入食品や新製品に大変興味があり、特に日本の食品となると率先して手に取ってくれます。

 そのため、2004年にマレーシアヤクルトが設立されてから2016年までは、会社の売り上げの80%近くが中華系マレーシア人によるものでした。そこで、人口の7割近いムスリムのマレー系マレーシア人に愛されるにはどうしたら良いかとマーケティングとして考えた時に、マレーシア国民に人気の「サッカー」が、主にマレー系およびインド系マレーシア人の方々にサポートされているスポーツだという事に気付きました。我々がサッカーをサポートすることによってマレー系ムスリムにヤクルトという飲み物を知ってもらい、サッカーのように日常的に愛されるようになってもらうことが、我々がサッカーと関わることになった一番の要因です。
 

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