「僕はイニエスタの偉大さをずっと…」アビスパ福岡スウェーデン人DFが母国メディアに語った日本での生活

2021年05月15日 サッカーダイジェストWeb編集部

日本への扉を開くきっかけをくれたのは元清水監督のヤンネ・ヨンソン氏。

福岡で2年目を迎えるサロモンソン。母国メディアに日本での経験を語っている。写真:滝川敏之

 アビスパ福岡で2年目を迎えた元スウェーデン代表のエミル・サロモンソン。今季開幕前、日本での3シーズン目を迎えるにあたり、彼は母国メディア『Sportbladet』に、日本での様子を語っていた。いったい32歳のスウェーデン人DFは、どのようにして日本との接点を持ち、Jクラブとの契約にこぎつけたのか。そして、初めてスウェーデン以外の国でプレーした彼は、極東の島国でのプレーや生活をどう感じていたのか? 現地記者がサロモンソン本人から知られざる舞台裏や率直な言葉の数々を引き出している。

取材・文:エリック・ニーヴァ text by Erik Niva(『Sport bladet』)
翻訳:鈴木肇 translation by Hajime SUZUKI

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 IFKヨーテボリとの契約が終わりに近づいていた時、新しいことを試してみたくなった。それまでとは別のサッカー環境に身を置く、つまり国外で生活しながらプレーをしたくなったんだ。だけど30歳を間近に控えていたし、僕がプレーしたことがあるのはアルスヴェンスカン(スウェーデン1部リーグ)だけ。だから現実的に考えた。いわゆる知名度のあるリーグは僕が行く場所ではない、と。
 
 日本への扉を開くきっかけとなったのは、ヤンネ・ヨンソンが清水エスパルスで監督をしていたことだった。最初は、清水が興味を示しているという話だったんだけど、サッカー選手にとってはよくあることで、それ以上の進展はなく清水行きの話はたち消えとなったんだ。だけど、ヤンネは清水の監督に就任する前にサンフレッチェ広島で指揮を執っていた。彼はサンフレッチェのスポーツチーフがサロモンソンという名前を覚えてくれるよう、事あるごとに僕のことを口にしていたんだ。

 サンフレッチェには10年近く在籍していた右ウイングバックがいた。ミハエル・ミキッチ。サイドから幾度となくクロスを上げて存在感を放っていた選手だ。そのミキッチが退団することになり、広島は後釜を探していた。そこでヤンネは僕のプレースタイルと特徴をサンフレッチェに説明し、そのおかげでクラブは僕がミキッチの穴を埋めてくれると信じてくれたんだ。僕にとって断る理由はなかったよ。
 

次ページ日本の選手はみんなとても親切。だが親密な関係を築くのは難しい。

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