三都主アレサンドロが語る、日本での20年、故郷でのリスタート、将来の夢

2015年05月08日 沢田啓明

「20年間の日本での生活はすべてが鮮烈な思い出。ひとつだけ選ぶのは不可能さ」

今年、20年間を過ごした日本を離れ、三都主は両親や妻子とともに暮らしながら故郷のクラブであるマリンガFCでプレーを続ける。

 長年に渡りJリーグ、そして日本代表を牽引した男は今年、故郷に凱旋し、サッカーを続けている。
 
 父ウィルソンさん、母マリアさん、妹のアリーネさん、妻の直美さん、そして新生児から9歳までの2男2女に囲まれ、賑やかに談笑しながら、三都主アレサンドロはとびきりの笑顔を浮かべていた。
 
 16歳で日本へ渡り、「ヴェンセール! ヴェンセール! ヴェンセール!」(勝つ! 勝つ! 勝つ!)の信条と「大和魂」を拠りどころとして、幾多の困難を一つひとつ乗り越えた。その結果、自らも予期しなかった大きな夢を実現したのだ。
 
 異国でゼロから築いたキャリアと家族とともに、生まれ故郷へ。しかし、この"サムライ"は、自分を育んでくれた日本と日本サッカーへの熱い想いを忘れていなかった。
 
――◆――◆――
 
――故郷のマリンガへ戻ってきて、リラックスしている様子ですね。
 
「久しぶりに親族、知人、友人たちのそばで生活し、彼らの目の前でプレーする。最高の気分だね」
 
――奥さんやお子さんもブラジルでの生活に適応できていますか?
 
「オフはいつも家族全員で帰国していたから、全然問題ないよ。妻も子どももポルトガル語が話せるし、こちらの食事や気候にも馴染んでいる」
 
――2月下旬、パラナ州選手権1部マリンガFCに入団し、3月11日のカスカヴェウ戦で
後半途中から初出場しました。
 
「複数のクラブからオファーをもらったけど、地元でプレーしたかったんだ。その希望が叶い、ずっとコンディション調整に努めてきた。カスカヴェウ戦は、僕のパスが起点となってPKを獲得し、それが決まって1-0で勝った。ただ、実戦から遠ざかっていたから、試合勘が少し鈍っているかな。でも、身体は大丈夫。故障もないし、これからチームメイトとの連係を深めていけば、十分やっていけると思う」
 
――20年の日本での生活を振り返って、一番印象に残っているのは?
 
「たくさんありすぎて、ひとつだけ挙げるのは不可能だね。明徳(義塾高)に入って環境の違いに苦しんだこと、清水に加入してプロになる夢を実現したこと、3年目のJリーグMVP、日本へ帰化して二度のワールドカップに出場したこと、浦和、名古屋という日本を代表するビッグクラブでプレーしたこと、欧州移籍、そして栃木と岐阜でのプレー、すべてが鮮烈な思い出として残っているよ」
 
――日本へ渡る前、これほどのキャリアを積めると考えていましたか?
 
「予想はしていなかった。プロになりたいという一心で日本へ向かったからね。最初は本当に大変だったけど、周囲の人たちに助けられてなんとかやってこられた。子どもの頃から、僕は神様を信じている。そして、日本には何人も神様がいて、僕を救ってくれた。心から感謝している」
 
――もし人生をやり直すとしたら、同じ決断をしますか?
 
「そうだね。間違いないよ」
 
――それでは、もし自分の息子が同じ状況に置かれたとしたら?
 
「うーん、それはどうかなあ(笑)。親となると、また話は別だよね。だから、今となっては、当時、母が反対した気持ちはよく分かるんだ」
 
――「ブラジルへ帰りたい」とは思わなかったのですか?
 
「いや、それは一度もなかった。言葉と食事には苦労したし、ブラジルのすべてが恋しかったけど、僕には『プロになるんだ』という確固たる決意があったからね」

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