このままでは終わらない、何も諦めていない――和田昌士は相模原の地で“復活”を期す

2021年05月01日 広島由寛(サッカーダイジェストWeb編集部)

「負けたくないし、いつか追いつき、追い抜きたい」

10節を終えた時点でここまで全試合に出場。攻撃のキーマンとしてかかる期待は大きい。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

 本人からすれば面白くない質問であり、これまで何度も訊かれたことだろう。

 横浜F・マリノスの下部組織でともに育ち、現在はドイツのウニオン・ベルリンでプレーする同い年の遠藤渓太についてどう思うか。J2のSC相模原で在籍2年目を迎える和田昌士は「そういうふうに言われるのは、しょうがない」と切り出したあと、真摯に答えてくれた。

「悔しい気持ちっていうのは無くしたことはないですし、常にあります。その悔しさをどうすれば晴らせるかは、自分が頑張って、試合に出て、活躍するしかない。落ち込んだりとか、そういうのはもうないですね。最初はちょっとありましたけど。

 でも今は、本当に自分のことで精一杯というか、自分が与えられたこのチーム、この場所でしっかり結果を出して、活躍して、頑張る。それを一番に考えています。

 もちろん、負けたくないし、いつか追いつき、追い抜きたい。そういう気持ちは常に持っていますし、諦めていないです」

 遠藤とともに、2016年にユースからトップ昇格を果たした。先にプロの舞台に立ったのは和田のほうだった。2種登録されていた15年シーズン、2月の松本山雅FCとのプレシーズンマッチで先発。当時まだ17歳だった。

 だが、プロ1年目から明暗が分かれる。J1で23試合に出場した遠藤に対し、わずか1試合の出場にとどまった和田は、翌年にJ2のレノファ山口FCに期限付き移籍。18年に横浜に復帰するも思うようにチャンスを得られず、19年に今度はJ3(当時)のブラウブリッツ秋田に武者修行に出る。30試合・4得点という成績を残したが、秋田のみならず、横浜とも契約が満了。昨季に相模原に新天地を求め、現在に至る。

 和田が複数のクラブを渡り歩いていた一方、遠藤は横浜でレギュラー格として活躍し、19年にはリーグ制覇も経験。東京五輪代表候補のアタッカーは、満を持して昨夏にドイツへと渡った。
 
「渓太との比較は常にされ続けています」

 そうした周囲の目を、うとましく思うこともあったはずだ。和田は10代から世代別代表に選ばれ、横浜ユースでは10番を背負っていた。どちらかと言えば、プロになりたての頃の注目度は和田のほうが高かったが、思うようなキャリアを描けずにいた。

「高校時代に活躍して、期待されてプロに入って、いろいろ運とかもあったと思いますけど、通用しなくて」

 若かりし頃の苦い思い出を、包み隠さず口にする。「絶対に出られる」と思っていたが、実際はそうはならなかったプロ1年目は、どうしてもネガティブな気持ちになることもあったという。だが、今は違う。紆余曲折を経て24歳になった和田は「すごくポジティブです」と柔らかい表情を見せる。
 

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