岐阜移籍の柏木陽介、その知られざる素顔と背番号42に込めた偽らざる想い

2021年03月15日 佐藤亮太

「子どもたちに夢を!!」柏木が地域活動へ強い想いを抱いていた理由

新天地はJ3のFC岐阜に決まった柏木。岐阜と浦和のサポーターに対してメッセージを送った。写真:サッカーダイジェスト

「『子どもたちに夢を!!』『感動を共に!!』というクラブ理念をみなさんに伝えられるようなプレーをして、恩返しの意味でもJ2昇格を実現しますので、共に戦っていただけたら嬉しいです」

 浦和レッズからFC岐阜に完全移籍した柏木陽介の言葉だ。

 公式ホームページには背番号をホームタウンとする市町村数に合わせ「42」にしたこと。さらに地域振興や社会貢献活動への参加を誓う決意表明が綴られていた。

 このコメントを目にして、なかには体裁の良い言葉にしか聞こえない人がいるかもしれないが、柏木は地域活動へ強い思いをずっと抱いていた。

 こんな話がある。2018年11月20日。シーズン終盤を迎えたこの日、柏木を含め、MF武富孝介、DF荻原拓也(ともに現京都)、そして浦和レッズレディースGKの池田咲紀子ら4選手がさいたま市の小学校を訪問した。体育館で身体を動かし、教室では「夢」をテーマにした授業が行なわれた。

 学校訪問の授業が終わると柏木はこんなことを語った。

「来年は1年かけて、さいたま市内すべての小学校を選手全員で手分けして学校訪問ができれば」

 当時、キャプテンを務めたこともあり、率先してやりたい。そんな意気込みが伝わった。

 また柏木は長くクラブに対しサポーターとの交流、特に子どもたちと交流できる機会を増やすべきと掛け合ってきた。これは柏木だけでなく、西川周作、槙野智章ら移籍組から声が上がっていると聞く。

 なぜ柏木は子どもたちとの交流の必要性を訴えたのか? 理由には昨季限りで引退した佐藤寿人の実体験があった。

 サンフレッチェ広島在籍2年目の2006年、佐藤は広島のある小学校を訪問した。そのなかにひとりの少年がいた。少年の夢はJリーガーになること。そして6年後、少年は夢を叶え、佐藤とチームメイトになった。それが現在、J2ヴァンフォーレ甲府でプレーするMF野津田岳人だ。

 この話を踏まえ、柏木は「訪問先の小学生が将来、プロになって一緒のピッチに立って『あの時、学校に来てくれました』と言われるようになればいい。そうしたことを浦和でもできればなと思っている」と想いを打ち明けている。

 ここ数年、減少傾向にある観客動員数にむけた新たなファン・サポーターの開拓とともに時を超えた「第二の野津田」を願っていた。
 

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