【選手権コラム】11年越しのリターンマッチ。山梨学院と青森山田、そして日本サッカーはどう変わったのか?

2021年01月10日 加部 究

山梨学院が本格強化に乗り出したのは15年前。わずか4年で全国制覇へ

山梨学院のキャプテン碓井鉄平(現富山)と青森山田の2年生10番、柴崎岳。11年前の両雄の激突は、山梨学院に軍配が上がった。写真:サッカーダイジェスト

 第99回全国高校サッカー選手権大会の決勝は、山梨学院(山梨)対青森山田(青森)という11年ぶりの顔合わせとなった。11年前は山梨学院が柴崎岳(現レガネス)を擁する青森山田を下し、初出場初優勝を飾っている。当時の試合を、"当事者"としても知るスポーツライターの加部究氏が振り返り、この10年の両者の変化を紐解く。

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 不思議な巡り合わせである。

 山梨学院が全国選手権に初出場で優勝を飾った時の決勝の相手が青森山田で、ベスト4に矢板中央が残っている光景も似ている。圧倒的に下馬評が青森山田に傾く構図まで、11年前と瓜二つと言えるかもしれない。

 山梨学院が本格的にサッカーの強化に乗り出したのは15年前。それからわずか4年間で全国制覇に到達した。サッカーの勢力図にない無名の高校が一気に選手を集められたのは、長く韮崎の監督として君臨してきた横森巧氏を招聘し、幅広い横の繋がりを最大限に活用できたからだった。愚息(未蘭)もFC東京U-15むさし時代の仲間につられるように同学年では最後に進路を決めるのだが、1学年上が3人、同学年からも3人が山梨学院に進むと聞いて、当初は不思議で仕方がなかった。

 実際横森総監督(当時)のスカウト網には感心するばかりで、未蘭が入学してチームメイトを見渡すと、Jアカデミー出身者以外でも面白い個性が詰まっていた。ただし新興校にありがちな問題も内包していたので、2009年にJクラブでの指導歴を持つ吉永一明氏が着任するまでは、なかなか全体のパワーがサッカーの強化へと集約されなかった。同校に赴任した吉永氏自身も「思ったよりレベルは高く個性的な選手は多かったけれど、もう少し大人になるように対話を重ねるようにしてきた」と振り返っている。とりわけ全国制覇した時の3年生は良くも悪くもやんちゃなタイプが多く、だからこそ上手く導けばピッチ上では大きなパワーを生み出した。卒業後にはプロに進んだ未蘭も話していた。

「トレーニングから削り合いが当たり前。みんな負けず嫌いで、あれほど強度の高いトレーニングが出来る高校は少ない。だから逆に試合になれば、そんな3年生が頼もしかった」
 

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