【連載】小宮良之の『日本サッカー兵法書』 其の十二「抜き身の刀のごとく」

2015年04月02日 小宮良之

FWは“論理に走る”選手であってはならない。

チュニジア戦、ウズベキスタン戦ともにゴールを決めた岡崎。クロスに合わせる形は、絶え間ないゴールアクションの集大成とも言える。写真:菅原達郎(サッカーダイジェスト写真部)

 先日行なわれたチュニジア戦、ウズベキスタン戦。岡崎慎司のFWとしての動きは、模範的だった。常にボールを引き出すスペースを作り、そこへ貪欲に走り込む動作を繰り返す。ボールを受ける身体の型が綺麗にできており、その感覚は経験によって研ぎ澄まされているのだろう。
 
例えばクロスに合わせるシュートは簡単に映ったが、絶え間ないゴールへのアクションの集大成だった。
 
 岡崎には、ストライカーとしてゴールの匂いが漂う――。
 
「シーズン5得点のFWであっても、ゴール以外に質の高い仕事をして、中盤の選手が点を取れるならそれでもいいと思う」
 
 Jリーグで活躍した日本人の攻撃的MFがそう話してくれたことがある。それは心の声として真実味があった。トップ下に位置する選手にとっては、前の選手が良いポスト役になってくれたり、サイドに流れてスペースを作ってくれたり、コンビネーションを生み出してくれたほうが有り難いのだろう。
 
 とりわけパスゲームが好まれる日本では、エゴイスティックなFWよりも協調性のあるそれが好まれる。
 
 横浜のルーキーFW和田昌士が、プレシーズンマッチの松本戦に出場した時のことだ。彼はそつのないプレーを見せていた。ボールを受ける動きは思慮深く知性的で、常に周りの選手との距離感が頭の中にあるようだった。
 
 前半、ボールを受けるとすかさずターンし、空いていた左サイドに流し込んだパスは叡智を感じさせた。器用なポストプレーで、齋藤学が得た最大のビッグチャンスも作り出している。
 
 しかし和田は無得点で、チームも完封負けを喫している。高校生ルーキーを戦犯に祭り上げるのは馬鹿げているだろう。ただし、FWというポジションの選手である以上、やはりゴールが問われる。ゴールに迫っていく覇気と技術は、チームを勝利に導くものでなくてはならない。FWというポジションは宿命的に、ゴールという最も難しい職務を与えられているのである。
 
 FWは本来的に、その意識において""論理に走る"選手であってはならない。行動の人であるべきで、ゴールに向かって最短のルートを直感的に選べるか。常人にはあり得ないことだが、本能を抑える理性をオフにし、無心でプレーに向き合う必要がある。世界的なストライカーであるルイス・スアレスは、まさにそういう状態になるから、噛みついてもゴールに向かう。
 
 自他ともに傷つけかねない、抜き身の刀のごとき選手がゴールゲッターなのである。

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