“北”から軽視され続けた都市ナポリを再興に導いたマラドーナ。英雄を失った街はいま――【現地ルポ】

2020年12月10日 アレックス・チスミッチ

ユベントス、ミラン、インテルと一歩も引かずに戦った

マラドーナの死後、本拠地サン・パオロには多くのファンが集まり、冥福を祈った。(C) Getty Images

 ディエゴ・アルマンド・マラドーナはもはやこの世にいない。そしてブエノスアイレスと同じようにナポリでもまた、人々はそれをうまく受け入れることができずにいる。

 11月25日の夕方に訃報が流れると、ナポリは深い痛みのベールに覆われた。町のあちこちで追悼のロウソクが灯され、コロナウイルス禍によるロックダウン中であるにもかかわらず、スタディオ・サン・パオロをはじめとするゆかりの地には人々が続々と集まった。人々の心にはぽっかりと穴が空いたかのようだった。

 それは旧市街の中心にあるサン・グレゴリオ・アルメーノ通りでも同じだった。プレセピオ(クリスマスに飾られる伝統的なジオラマ)用の人形などで有名な市場が並び、普段は賑やかな喧騒に満たされているこの通りも、この日ばかりはしーんと静まり返り、チップ目当てのストリートミュージシャンが奏でるギターの音がやけに哀しく響いていた。

「すべての芸術家がそうであるようにマラドーナは私たちの人生に影響を及ぼしました。ナポレターニ(ナポリの人々)に新しい生き方を示し、大きな希望を与えたんです」

 そう語るのはマラドーナ研究家であり、この英雄とナポリとの関係を語り掘り下げたドキュメンタリー映画『マラドナポリ』の演出家でもあるイバン・シーカ。すべての始まりは1984年7月5日、満員のスタディオ・サン・パオロで行われたマラドーナの入団発表だった。

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 ナポリはその4年前に起こった大地震の痛手から立ち直っておらず、ナポレターニたちは未来を悲観するしかなかった。地下通路からピッチに駆け上がり、何度かリフティングしたボールを大きく蹴り上げるマラドーナの姿に人々は熱狂し、すべての夢を託してすがった。こうしてまたたく間にナポリのシンボルとなったマラドーナはそれから7年間、信じられない魔術、あり得ないゴール、たくさんの勝利とタイトル、そして強者や権威を敵に回すことも辞さない強い姿勢を通して、ナポレターニを励まし鼓舞し続けた。

 ナポリを見下し差別する北イタリアの人々、ユベントス、ミラン、インテルというカルチョ界のエスタブリッシュメントと一歩も引かずに戦い、そしてしばしばやり込めたのだ。
 

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