【コラム】「マラドーナ、冗談じゃない!」数多の称賛とブーイングを浴びた本当のヒーロー

2020年11月27日 加部 究

ナポリでは3割がアルゼンチンを応援。ローマでは耳をつんざくブーイング

メキシコで英雄となったマラドーナ。その生涯は波乱万丈と言っていいものだった。(C) Getty Images

 1990年イタリア・ワールドカップでは、取材拠点をローマにした。テルミニ駅近くのホテルに部屋を押さえ、そこに大きな荷物を置き電車や飛行機で移動を繰り返した。優に1ヶ月間を超える滞在なので、朝食時などで連日顔を合わせるメイドのおばちゃんとは、だいぶ仲良くなった。おばちゃんがサッカー好きなのはわかっていた。だから帰国する時に「世話になったお礼に」と、日本から持参した写真掲載の多い大会展望の本を手渡そうとした。

 いつも笑みを絶やさない人懐っこいおばちゃんだった。ところが本の表紙を目にした瞬間に態度が豹変した。

「マラドーナ、冗談じゃない!」

 途端に踵を返すと、暫くは厄払いのように大声で愚痴のような言葉を連ねるのだった。

 当時セリエAは黄金時代の入り口に差し掛かっていた。欧州には3大カップがあり、チャンピオンズカップはミランが連覇中。カップ・ウィナーズカップはサンプドリアが制し、UEFAカップは決勝でユヴェントスがフィオレンティーナを下してイタリア勢が独占している。カルチョの国は空前の盛り上がりを見せ、自国開催のワールドカップでも優勝の気運が最高潮だった。

 だがそんなイタリア国民を悲嘆のどん底に突き落としたのが、ディエゴ・マラドーナだった。大きな期待を背負うイタリアは、ナポリで準決勝のアルゼンチン戦を迎え、PK戦の末に散る。イタリア代表のジュゼッペ・ベルゴミ主将が口にしたように、ナポリのスタジオ・サンパウロでは3割近くがアルゼンチンの応援に回った。ナポリのサポーターは言った。

「もちろんイタリアには勝って欲しいさ。でもマラドーナは特別なんだ。他のなにものにも代えられない」

 マラドーナがやって来てナポリは一変した。セリエAでは圧倒的な北部優勢が続き、南部のナポリは中位を彷徨っていた。しかしマラドーナを獲得すると、並外れたスーパープレーでチームを牽引し2度のスクデットをもたらす。要するにナポリでは、アズーリと呼ばれるイタリア代表以上にマラドーナを愛する人たちが大量に生まれた。逆にナポリ以外でマラドーナはイタリアを下した最大の憎まれ役だから、ローマでの決勝戦後の表彰では耳をつんざくブーイングを浴びることになった。
 

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