偉大なる「マルディーニ家」の系譜。“3代目”はミランでキャリアを築けるか?【現地発】

2020年10月28日 片野道郎

親子2代でミラン主将として欧州制覇

(左から)チェーザレ、パオロ、ダニエルは、いずれもミランのユニホームを着ている。写真:Alberto LINGRIA

「名選手、必ずしも名監督にあらず」というのはよく言われることだが、サッカー界ではもうひとつ、「名選手の息子、必ずしも名選手にあらず」という格言を付け加えてもいいだろう。

 かつての名手の息子がプロ選手としてのキャリアをスタートした、というケースはそれほど珍しいことではない。しかし、そうした2世プレーヤーが父親と肩を並べるまでに成長し、親子2代に渡ってトップレベルで活躍する例となると、サッカーの歴史を振り返ってもそれほど多くはない。

 その最新例と言えるのが、この9月にリバプール移籍が決まったチアゴ・アルカンタラだろうか。彼の父は94年のワールドカップ(W杯)で優勝したブラジル代表で右ウイングを務めたマジーニョ。兄と同じくバルセロナのカンテラで育成された弟のラフィーニャ(現パリSG)も、父や兄の実績には及ばないもののプロとして活躍している。

 もう少し時代を遡れば、パオロ・マルディーニをはじめフランク・ランパード、ファン・セバスティアン・ベロン、パオロ・モンテーロ、そしてペペ・レイナなどが、名選手を父に持つ2世プレーヤーだ。

 しかし、21世紀に活躍した/している選手に話を限れば、リストはここまででほぼ打ち止めだ。現在のセリエAにはフェデリコ・キエーザ(ユベントス)やジョバンニ・シメオネ(カリアリ)などがいるし、プレミアリーグではキャスパー・シュマイケル(レスター)、ブンデスリーガではジャスティン・クライファート(RBライプツィヒ)、リーグ・アンではティモシー・ウェア(リール)らが2世プレーヤーとして知られている。

 ただ、彼らが父親と肩を並べ、それを乗り越える実績を築けるかどうかとなると、現時点では判断を保留せざるをえない。偉大な父を超えるというのは、それほどまでに難しいことなのだ。
 
 そう考えると、チェーザレとパオロというマルディーニ親子のストーリーが、どれほど特別だったかがよく分かる。なにしろ近代サッカーの歴史を遡っても、親子揃って同じチームのキャプテンとしてチャンピオンズ・リーグ(CL/前チャンピオンズ・カップ)のトロフィーを天に掲げたのは、彼らが唯一無二なのだ。

 チェーザレ・マルディーニは1932年にイタリアで最東の都市トリエステに生まれ、地元のトリエスティーナでプロデビューした後、54年に21歳でミランに引き抜かれた。

 当時のミランは、グンナー・ノルダール、ニリス・リードホルム、ファン・アルベルト・スキアフィーノといった世界トップクラスの外国人プレーヤーを擁し、50年代だけで4度のスクデットを獲得する黄金時代を謳歌していた。マルディーニもそのチームでリベロとして最後尾からチームを支え、61年にはキャプテンの座に就いた。

 当時としては際立って高い180センチ台後半の長身ながら、エレガントな身のこなしと優れたテクニックを持っていたチェーザレは、並のDFならばクリアするような状況でも、相手をドリブルでかわしてパスを繋ごうとする自信家だった。時にはそれが裏目に出て、失点に繋がるミスを犯すケースもあった。しかし、彼を愛するミラニスタたちは、そんなチョンボも「マルディナータ」(マルディーニらしいやらかし)と呼んで笑って許したという。
 

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