パリSGの成熟した戦いぶりは称賛に値。
1)ゲームを「コントロール」したが「支配」できなかったチェルシー
ピッチ上では120分を通してテクニカルで質の高い攻防が続き、最後までどちらに転ぶか分からないスリリングな展開ではあったが、両チームが流れの中から作り出した決定機は数えるほど。決まった4つのゴールはすべてセットプレー絡みという「地味派手」な試合だった。
試合の流れそのものは、ほぼチェルシーの狙い通り。開始30分でイブラヒモビッチが退場になり、11人対10人という有利な立場になったことも含めて、0-0も視野に入れながら落ち着いて試合をコントロールすれば、勝ち上がりの権利を手放すことなく逃げ切れるはずだった。そして実際、チェルシーは「コントロール」に徹して試合を運んだ。
問題は「コントロール」しながら「支配」はできなかったところ。リスクを怖れて慎重になるあまり、数的優位を活かして相手を一方的に押し込み心理的に追いつめることができず、後がなくなって開き直ったパリSGの勇気を削ぐどころか、逆に希望を与え続ける結果になった。
困難な状況に立たされながら最後まで希望を捨てず、かといって焦って前がかりになりバランスを崩して墓穴を掘るような愚を犯すこともなく、結束を保って勇敢に戦い、数少ないセットプレーのチャンスをものにしたパリSGの成熟した戦いぶりは称賛に値する。
180分+30分の戦いを通して勝ち上がる資格があったチームがどちらかといえば、それは間違いなくパリSGだった。しかしそれを許したのがチェルシーの消極的なゲームコントロールだったことも、もう一面の事実である。
2)イブラヒモビッチ「CLの呪い」を克服できず
立ち上がりは、両チームともに攻撃の最終局面に人数をかけない慎重な姿勢を崩さなかったこともあり、中盤では活発な攻防が繰り広げられたものの、フィニッシュにつながる危険な場面はほとんど見られなかった。
最初の転機となったのは、31分に中盤のイーブンボールにやや遅れてスライディングし、先を取ったオスカールを引っかけたイブラヒモビッチに出されたレッドカード。プレーそのものに相手を削ろうという意図は感じられず、シューズの底を見せて入ったわけでもなかったことを考えれば、一発退場は厳しすぎる判定だった。
とはいえ、一度出た判定は覆らない。リーグ戦では常にチームに優勝をもたらす絶対的なリーダーであるにもかかわらず、CL決勝トーナメントのビッグマッチでは一度も決定的な仕事をしたことがないという「呪い」は、今回もまた克服できないままに終わった。
幸運だったのは、チームが最後の最後で勝ち上がったこと。チャンスはまだ残されている。
3)パリSG中盤のクオリティ
イブラヒモビッチという最も重要なリーダーを失ったパリSGが、その後一時的にナーバスになったのはある意味で当然だった。しかし成熟を感じさせたのは、すぐに落ち着きを取り戻してチームをオーガナイズしなおしたところ。
パリSGはこの試合、通常の4-3-3ではなく、パストーレが右サイドに下がりマテュイディが左サイドに開いて、カバーニが最前線のイブラヒモビッチの回りを動き回る、やや変則的な4-4-1-1とも言える布陣を敷いていた。
攻撃の局面では、パストーレとマテュイディが内に絞ってポゼッションに絡むことで、中央のゾーンでチェルシーの3MF(2ボランチ+トップ下)に対して4対3の数的優位を作り出して、そこから前線にボールを送り込もうというのが主な狙い。
それゆえ、イブラヒモビッチの退場で10人になった後も、中盤から下の構成は変わらないままで(システムは4-4-1)、中央のゾーンにおける優位はそれほど揺るがなかった。
T・モッタ、ヴェッラッティ、パストーレという3人のテクニシャンは、セスクとマティッチというチェルシーの2ボランチに対して数の上でもクオリティでも上回っており(オスカールの守備参加は緩慢で計算が立つとはいえなかった)、ボールを持つとチェルシーのプレッシャーを細かいパス交換でかわして、うまくオープンスペースにボールを持ち出す。
1人少ないにもかかわらず、試合を通してパリSGがほぼ互角のボール支配率を保ち、チェルシーに押し込ませなかった理由はそこにあった。
ピッチ上では120分を通してテクニカルで質の高い攻防が続き、最後までどちらに転ぶか分からないスリリングな展開ではあったが、両チームが流れの中から作り出した決定機は数えるほど。決まった4つのゴールはすべてセットプレー絡みという「地味派手」な試合だった。
試合の流れそのものは、ほぼチェルシーの狙い通り。開始30分でイブラヒモビッチが退場になり、11人対10人という有利な立場になったことも含めて、0-0も視野に入れながら落ち着いて試合をコントロールすれば、勝ち上がりの権利を手放すことなく逃げ切れるはずだった。そして実際、チェルシーは「コントロール」に徹して試合を運んだ。
問題は「コントロール」しながら「支配」はできなかったところ。リスクを怖れて慎重になるあまり、数的優位を活かして相手を一方的に押し込み心理的に追いつめることができず、後がなくなって開き直ったパリSGの勇気を削ぐどころか、逆に希望を与え続ける結果になった。
困難な状況に立たされながら最後まで希望を捨てず、かといって焦って前がかりになりバランスを崩して墓穴を掘るような愚を犯すこともなく、結束を保って勇敢に戦い、数少ないセットプレーのチャンスをものにしたパリSGの成熟した戦いぶりは称賛に値する。
180分+30分の戦いを通して勝ち上がる資格があったチームがどちらかといえば、それは間違いなくパリSGだった。しかしそれを許したのがチェルシーの消極的なゲームコントロールだったことも、もう一面の事実である。
2)イブラヒモビッチ「CLの呪い」を克服できず
立ち上がりは、両チームともに攻撃の最終局面に人数をかけない慎重な姿勢を崩さなかったこともあり、中盤では活発な攻防が繰り広げられたものの、フィニッシュにつながる危険な場面はほとんど見られなかった。
最初の転機となったのは、31分に中盤のイーブンボールにやや遅れてスライディングし、先を取ったオスカールを引っかけたイブラヒモビッチに出されたレッドカード。プレーそのものに相手を削ろうという意図は感じられず、シューズの底を見せて入ったわけでもなかったことを考えれば、一発退場は厳しすぎる判定だった。
とはいえ、一度出た判定は覆らない。リーグ戦では常にチームに優勝をもたらす絶対的なリーダーであるにもかかわらず、CL決勝トーナメントのビッグマッチでは一度も決定的な仕事をしたことがないという「呪い」は、今回もまた克服できないままに終わった。
幸運だったのは、チームが最後の最後で勝ち上がったこと。チャンスはまだ残されている。
3)パリSG中盤のクオリティ
イブラヒモビッチという最も重要なリーダーを失ったパリSGが、その後一時的にナーバスになったのはある意味で当然だった。しかし成熟を感じさせたのは、すぐに落ち着きを取り戻してチームをオーガナイズしなおしたところ。
パリSGはこの試合、通常の4-3-3ではなく、パストーレが右サイドに下がりマテュイディが左サイドに開いて、カバーニが最前線のイブラヒモビッチの回りを動き回る、やや変則的な4-4-1-1とも言える布陣を敷いていた。
攻撃の局面では、パストーレとマテュイディが内に絞ってポゼッションに絡むことで、中央のゾーンでチェルシーの3MF(2ボランチ+トップ下)に対して4対3の数的優位を作り出して、そこから前線にボールを送り込もうというのが主な狙い。
それゆえ、イブラヒモビッチの退場で10人になった後も、中盤から下の構成は変わらないままで(システムは4-4-1)、中央のゾーンにおける優位はそれほど揺るがなかった。
T・モッタ、ヴェッラッティ、パストーレという3人のテクニシャンは、セスクとマティッチというチェルシーの2ボランチに対して数の上でもクオリティでも上回っており(オスカールの守備参加は緩慢で計算が立つとはいえなかった)、ボールを持つとチェルシーのプレッシャーを細かいパス交換でかわして、うまくオープンスペースにボールを持ち出す。
1人少ないにもかかわらず、試合を通してパリSGがほぼ互角のボール支配率を保ち、チェルシーに押し込ませなかった理由はそこにあった。