【横浜FC】待ちに待った“フィジカルの成長”。斉藤光毅がずっと「重点的に」積み重ねてきた努力とは…

2020年07月09日 志水麗鑑(サッカーダイジェスト)

才能に恵まれていたが、直面した課題は…

横浜FCで昨季後半戦はスタメン落ちしていた斉藤光毅。今季はリーグ再開後から調子を上げている。写真:田中研治

 待ちに待った時がやってきた。斉藤光毅の"フィジカルの成長"である。

 継続してチェックし続けると面白いもので、横浜FCで2種登録選手としてトップチームデビューを飾った18年は、まだ16歳なので華奢な体格だった。横浜FCや世代別代表の担当記者として取材で間近で見ると、細身がよく分かる。

 それでも順調に活躍してこれたのは、「類まれなドリブルスキル」「秀逸な動き出し」「身体の使い方の巧さ」という幾多の才能があったからだろう。フィジカルでは劣っていても、手を上手く使って相手DFを抑えたり、敵から遠い足にボールを置いたり、ウィークポイントを補う能力に感銘した。

 将来有望な大器だと思ったので、何度も取材して彼の記事をよく書いた。嬉しいことに、ことごとく期待に応えてくれる選手で、18年10月のU-19アジア選手権では3得点、19年の7節・愛媛戦ではプロ初ゴール。その活躍で世間の注目度も次第に上がっていった。
 壁にぶつかったのは、19年の5月から6月にかけてポーランドで行なわれたU-20ワールドカップだった。初戦のエクアドル戦では「いつもだったら通用しているドリブルも引っかかった」。屈強な海外のDFと対峙して判明した課題は、ドリブル突破する瞬間の馬力不足と、相手DFと接触した時にグッと耐えられないフィジカル。いくら前述の3つの才能があっても、レベルが上がると身体を当てられてしまってふらつき、果敢な仕掛けは影を潜めた。

「試行錯誤して(エクアドル戦の)映像を見て、色々考えた」おかげで、第2戦のメキシコ戦と第3戦のイタリア戦で改善していた事実は認めたい。しかし結局、無念の途中離脱を余儀なくされた負傷も、イタリア戦で右サイドをドリブルで抉った瞬間、相手DFにフィジカル負けした時に左肩を脱臼したものだった。

 帰国して負傷から復帰直後は数試合で活躍したが、また同じ困難に直面した。注目度が上がった影響でマークが厳しくなり、やはりドリブル突破する瞬間の馬力が足りなかったり、フィジカルで当たり負けするシーンが目についた。主戦場が左サイドとなると、タッチライン際でボールを持ってから1対1を仕掛ければ、突破口は縦か中央。次第にドリブルも相手DFに読まれやすくなっている印象だった。昨季の後半戦は松尾佑介にポジションを取られ、完全にスタメン落ちしている。

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