韓国を圧倒し、ネイマール擁するブラジルに互角。プラチナ世代とはいかなる道を歩んだのか?【名勝負の後日談】

2020年06月22日 加部 究

短期連載コラム『名勝負の後日談』最終回 2009年U-17W杯ブラジル戦|王国にもまったく引け目を感じていなかった

2009年U-17W杯の初戦・ブラジル戦に臨んだ日本のメンバー。宇佐美(前列中央)のほか、松原(後列左から3番目)、柴崎(同4番目)、杉本(同5番目)らが名を連ねた。(C) Getty Images

 歴史に残る名勝負、名シーンには興味深い後日談がある。舞台裏を知る関係者たちが明かしたあの日のエピソード、その後の顛末に迫る。(文●加部 究/スポーツライター)

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 日本が韓国を相手に完全にボールを支配し圧倒してしまっている。

 池内豊がそんな光景を見るのは初めてだった。池内自身は、まだプロ創設前の日本代表選手として、1980年代に活躍してきた。先にプロ化に踏み切った韓国は、常に大きな壁として立ちはだかっていた。

 ところが目の前のU-13の選手たちは、当時とは日韓の立場をすっかり逆転してしまっている。今から15年前のことである。そしていつしか1992年生まれを軸とする彼らの世代は「プラチナ」と呼ばれるようになった。

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 怖いもの知らずのプラチナ世代は、韓国どころか王国ブラジルにもまったく引け目を感じていなかった。しかもそれは実績に基づく相応の自信でもあった。

 やがてプラチナ世代はU-15日本代表として集結し、池内監督の下で2009年のU-17ワールドカップを目標に活動を始める。JFA(日本サッカー協会)内の期待も高く、アジアに止まらず欧州、北中米、アフリカなど世界各地への遠征を繰り返した。

 当初のウクライナ遠征では、トルコに4失点して完敗した。
「体格が大きいのにテクニックがあり、強くてしっかりとボールを回すことも出来る。やっぱり世界は違うな、と思いました」

 現在浦和レッズでプレーする杉本健勇の述懐である。しかしこの一戦の後に、世界との差を痛感する機会は訪れなかった。

 当時ガンバ大阪ユースに所属し、代表では守備の要として君臨し続けた内田達也(現群馬)が語っていた。
「どこの国際大会に出ても貴史(宇佐美)より上手い選手は見当たらなかった。ひとりで全てをこなしてゴールまで決めて来る。流れが良い時は何点でも取れちゃうので、後ろから見ていても本当に楽しかった」

 G大阪史上最高の傑作と早くから評判だった宇佐美は、中学2年時にはキャプテンマークをつけてU-15全日本選手権に臨み、自らのゴールで優勝を決めている。そして翌年には飛び級でユースに昇格した。伝統的に年功序列が厳しい日本で、ジュニアユースチーム(中学生年代)の主将を2年生に託すのは、まさにプロの時代到来を象徴する選択だった。G大阪で1学年上だった内田の証言である。

「貴史は完全に別格で、プレーで引っ張ってくれていた。だから僕ら同級生の間でも、しっかりサポートして行こうと話していました」

次ページ2度引き分けていたブラジルとU-17W杯で対戦。ネイマールを覚えている選手はいなかった

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