香川、乾、家長、清武が揃った“2010年セレッソ”を元日本代表・播戸竜二氏が回顧「あいつらが海外に行けたのは…」

2020年06月21日 江國 森(サッカーダイジェストWeb編集部)

ガンバから宿敵セレッソに移籍した理由は?

香川(左)のC大阪ラストゲームでゴールを決めた播戸氏(右)。(C)SOCCER DIGEST

 シーズン再開を待ちわびているJリーグファンを楽しませているのが、過去の名勝負を放送する「DAZN」の「Re-Live」だ。現在配信中の2010年シーズン第12節、セレッソ大阪対ヴィッセル神戸で解説を務め、C大阪の一員としてこの一戦でゴールも挙げた元日本代表の播戸竜二氏に当時のエピソードを伺った。ドルトムント移籍のため、これがJリーグ最後の試合となった香川真司(現サラゴサ)が決めた"惜別のFK弾"にまつわる裏話とは――。

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――2010年は移籍1年目です。ガンバを離れた理由は?

「理由はシンプルで、2009年シーズンで契約満了なったんです。その年の10月頃に言われたんですよ、契約更新はないと。プロで最初のクラブだし、戻ってきて4年間やって、まがりなりにもチームに貢献していたという自負もあったので、そりゃあ傷つきましたよ。その時、僕は30歳だったんですが、同じ年に遠藤(保仁)、橋本(英郎)、加地(亮)がいて、二個上には明神(智和)さん、一個上には山口(智)さん、一個下には二川(孝広)、藤ヶ谷(陽介)と、30歳前後の選手が多かったんですよ。当時の山本浩靖強化部長の気持ちも分かります。世代交代もしていかなきゃいけないですし。いま言ったメンバーの中で、誰を最初に契約満了にするか、となった時に自分だったんです」

――新天地に選んだのが、ライバルのセレッソでした。

「ちょうど2010年にJリーグの移籍制度が変更されたんです。それまでは、30歳になったら移籍金なしで移籍できるというルールだったんですけど、僕らが30歳になった途端、それが撤廃になって、契約切れの選手は、年齢に関係なく誰でもフリーで移籍できるようになった。そうなったら、わざわざ30歳の選手を獲得しようとは思わないですよね。『どうしよう』と思ってた時に、セレッソが声を掛けてくれたんです。当時の強化部長の梶野(智)さんと藤田(信良)社長が、『ガンバでチームのために戦って、ムードメーカーもやって、結果も出していた。若い選手が多いセレッソには、この経験が必要や』と。それで、移籍することになったんです」
 

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