「2人のサムライ」が医療従事者たちに支援。酒井宏樹と仏在住シェフの知られざる絆/後編【現地発】

2020年06月07日 結城麻里

唐突だったレストランでの出会い

2016年夏からマルセイユでプレーしている酒井。(C)Getty Images

「包丁名人」の上村さんがマルセイユに来たのは、2003年のこと。だがそこには、ある事情があった。

 実は上村さんはその前に、一大決心でフランスに来るや、国際映画祭で有名な南仏カンヌで和食レストランに挑戦。ところが、これがうまくいかなかった。失意のまま帰国を決意、飛行機のチケットを手に、カンヌで知り合ったマルセイユ人宅にステイした。出発までの1週間をそこで過ごすことにしたのだ。

 ときは折しもクリスマス。ステイ先にも次々と友人知人が詰めかけ、楽しいクリスマスのお祭りになった。人懐こいマルセイユ人たちに囲まれるうち、上村さんにも多くの友人知人ができ、そのうち一人が「エクストラ(臨時雇用)で働かないか」と仕事先まで提案してきた。

「それでマルセイユに残ることにしたんです。飛行機のチケットは…捨てちゃいました(笑)」

 こうして上村さんはマルセイユに救われ、やがて自分の店に再挑戦する。

「カンヌは世界中のスターも集まる美しい観光地ですけど、フランスを感じなかったんですよ。ところがマルセイユは人間くさくて、フランスを感じた! それに新鮮な魚市場もあって、気に入っちゃったんです」
 

 それからはとんとん拍子。ちょうどフランスで和食ブームが始まった頃でもあった。一年半前に現在の地に「レストランTabi」を開くまでは、スタッド・ヴェロドロームのそばに店があったという。そこでの実力がモノを言い、2016年には格付けで知られる「ゴー・エ・ミヨー」の目に留まり、翌17年には和食シェフとしては史上初となるヤングタレント賞を受賞。やがて「ミシュラン」の検食官も訪れるようになった。

「どうしてミシュランに手紙を書かなかったの、と言われました。僕、有名になろうとしたわけじゃなかったし、そういう仕組みも知らなかったんですよ。でもいろんな人と出会えてモチベーションも上がって、それで2019年にいまの場所に移転したんです。障害者用のスペースとかも確保した広いレストランで、さらに上に挑戦しようと思ったんです」

 「レストランTabi」はいま、200キロメートル以内で獲れた新鮮な魚やローカル食材を使用しながら、ハイクオリティーな南仏風和食レストランとして知られるようになっている。
 

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