中村敬斗のターニングポイント――ガンバ時代に並々ならぬ闘志を持っていたゲームとは?

2020年04月23日 飯間 健

おびただしいほどの熱量を持った青年が立っていた。

果敢にドリブルを仕掛ける中村敬斗。秋田戦のプレーには、闘志が漲っていた。(C)J.LEAGUE PHOTOS

 日陰に入ると、まだ肌寒さを少し感じる頃だった。19年5月5日、吹田スタジアム。そのピッチには、おびただしいほどの熱量を持った青年が立っていた。G大阪U-23の一員として出場したJ3秋田戦は彼のターニングポイントになったのかもしれない。現在オランダ1部トゥベンテでプレーするFW中村敬斗である。

「最後のところを決め切りたかった。でもパフォーマンスはまずまずだったし、今日の試合に出られたことは良かったと思う」

 チームは3-1で勝利。35分過ぎと試合終了間際には決定的なシュートも放った。食野亮太郎(現スコットランド1部ハーツ)の8本に次ぐ5本のシュート。ノーゴールに終わったことには唇を噛んだが、左サイドからの仕掛けは攻撃を活性化させて2点目の起点にもなった。そして鬼気迫るプレーから一転、試合後の彼はさわやかな顔でこう言った。

「あとは影山さん(影山雅永監督)が決めること。僕は待つのみですね」
 一点突破に賭けた一戦だった。19年の中村が掲げた目標のひとつは、ポーランドで開催されるU-20ワールドカップ(5月23日~6月15日)に出場することだった。だが3月の欧州遠征には選出されず。4月の直前合宿でも招集されなかった。扉は閉じられつつあった。

 風向きが変わったのは、U-20代表の主力と目されていた久保建英(マジョルカ)と安部裕葵(バルセロナB)がA代表に招集されるという情報だった。A代表は6月にキリンカップとコパ・アメリカへの招待参加が予定されていた。久保と安部は上のカテゴリーに招集され、U-20ワールドカップには出場しないかもしれない、と噂になっていた。

 もし、ふたりが不在ならばドリブラーが必要になるかもしれない――。中村はそう感じていた。

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