「サッカーは“エモーション”こそすべて」だから無観客開催は難しい【小宮良之の日本サッカー兵法書】

2020年04月01日 小宮良之

フィーゴに向けられた強い憎しみと怒り

シメオネ監督が観客を煽る姿はもはやお馴染み。ファンの熱を注入し、チームの闘争心を搔き立てる。(C) Getty Images

<MORBO>

 それはスペイン語で「疾患」という意味だが、「不健全なモノが放つ魅力」とも訳される。病的、偏執的な魅力といったところか。愛と憎しみの感情は表裏一体で、そのぶつかり合いに人々は惹かれる。

 実はそのMORBOこそ、サッカー世界最高峰のスペイン、ラ・リーガの力の源泉となっている。

 サッカーの世界では、エモーションがすべてだ。

「スタジアムで湧き起る感情を、自らの力に還元できる選手が一流になる」

 スペインではそう言い伝えられる。観客の熱を受けることによって、100%以上の力を発揮し、自らの殻を破れる。少年アクション漫画ではないが、みんなの熱を集め、自分に取り込める者が強いのだ。

 バルサで長く活躍した元スペイン代表DF、カルレス・プジョールは、その典型のような選手だった。ルーキー時代、当時すでに世界的スター選手だったルイス・フィーゴがレアル・マドリーの選手としてカンプ・ノウに帰ってきたときのことだ。プジョールはフィーゴをマンマークする役を与えられると、必死に食らいつき、最後まで封じ込めている。

 スタジアム中が、フィーゴに強い憎しみと怒りをぶつけていた。「裏切り者」「守銭奴」と怒号が飛び交い、コーナーキックでは子豚の頭が投げ込まれるほど(スペインでは子豚の丸焼きの時に添えられる)。かつてバルサに在籍しながら、高い給料につられ、仇敵マドリーに移籍した男を許さなかった。

 必然的に、フィーゴは熱烈な声援を背中に受け、素晴らしいプレーを見せた。もちろん、彼本来の能力はあったのだろうが、その一試合で彼は劇的に成長を遂げている。それは進化に近いほどで、瞬く間にスターダムを駆けのぼっていった。
 
 アトレティコ・マドリーのアルゼンチン人ディエゴ・シメオネも、感情の渦がもたらす力を、誰よりも信じている指揮官と言える。シメオネは自らが現役時代にそうだったように、身体を投げ出し、すべてを出し尽くすようなプレーを選手に求める。戦う姿が観客の熱を誘い出し、自らに再び注入されることを肌で知っているのだろう。選手の一挙手一投足に反応し、応援を促すように観客をあおる姿はおなじみだ。

「人生は生死をかけた闘争。フットボールも同じだ。練習から覚悟を問う。試合でピッチに立つなら、敵を仕留めるような覇気がないといけない」

 シメオネは喩えて言うが、その戦闘精神が熱気を触発する。インテンシティーはしばしばフィジカルだけのものとして理解される。しかし、その本質は士気の高さ、戦闘力というメンタル的なものにあるのだ。

 サッカーは、エモーションの重なり合いで成立している。もちろん、無観客でも試合はできなくない。8~9割のプレーの質は変わらないし、トレーニングマッチはそれに近い環境と言えるだろう。しかし、プロのゲームは選手と観客との呼吸で成り立っている。それが失われた場合、サッカーが成立するのは難しくなるのは必然なのだ。
 
文●小宮良之

【著者プロフィール】
こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。2001年にバルセロナへ渡りジャーナリストに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写する。『選ばれし者への挑戦状 誇り高きフットボール奇論』、『FUTBOL TEATRO ラ・リーガ劇場』(いずれも東邦出版)など多数の書籍を出版。2018年3月には『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューを果たした。
 
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