【連載・東京2020】西川潤/中編「憧れの選手権で1勝もできず、本当に悔しかった」

2020年03月30日 江國 森(サッカーダイジェストWeb編集部)

「試合中に“煽られる”ことが多くなってきた」

連載9回目は西川潤。笑顔を交えながらインタビューに応じてくれた。写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

 新型コロナウイルスの影響で1年程度の延期が決定した東京五輪。本連載では、本大会での活躍が期待される注目株のこれまでキャリアや夢舞台への想いに迫る。

 9回目に登場するのは、スピードに乗ったドルブルと卓越したシュートセンスで違いを作る、セレッソ大阪のルーキー西川潤だ。
 
 中学2年で全国制覇を成し遂げ、桐光学園高でも3年次にインターハイ優勝を経験。世代別代表でも活躍し、同世代のトップランナーのひとりとして走り続けてきたレフティは、これまでどんなサッカー人生を歩んできたのか。
 
 中編では、前年のリベンジを果たした高校3年次のインターハイや日本代表として臨んだ2つの世界大会について、振り返ってもらった。

前編はこちら
【連載・東京2020】西川潤/前編「いきなり10番を付けるなんて聞いてなかった。最初は先輩たちの目が…」

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――飛び級で参加したU-20ワールドカップを振り返ると?

「肉離れで大会直前まで練習ができなくて、ぶっつけ本番のような形でした。なかなか自分の良さを出せずに終わってしまった大会でした。もっと結果を残したかったんですが」

――敗れた決勝トーナメント1回戦の韓国戦は先発出場でした。

「日韓戦ということで会場を盛り上がっていましたし、相手が捨て身でくるなかで勝てなかったのは悔しかったですね」

――代表の活動も忙しいなかで、高3のインターハイでは日本一を達成しました。

「前年の悔しさがあったので、キャプテンとしてチームにその経験を伝え、チャンスで決め切る意識を持って臨んだ大会でした。優勝できて本当に良かったと思います」

――注目されて、マークも相当きつかったのでは?

「試合中に"煽られる"場面が多くなってきた時期でしたね。外からじゃ聞こえないと思いますが、ピッチの中では結構言われてるんです(笑)。それでも日本一になれたのは嬉しかったですね」

――高校時代、勝つためにとくに努力していたことは?

「自分だけでなく、周りも動かせるようになりたいと思っていました。なので、自分が代表で得た経験をチームメイトに伝えるように意識していました。この時間帯はこのサイドをケアしたほうがいいとか、戦術的にこうボールが入ったら、連動してどう動くべきかとか。チームにプラスになっていたと思います」
 

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