昌子源、ガンバ移籍会見で明かした「鹿島で習ったこと」とは? 長引いた怪我、中学時代の挫折にも言及

2020年02月06日 飯間 健

「トゥールーズのメディカルの方となかなか合わなかった」

新入団会見に臨んだ昌子。タイトルへの決意を語った。写真:徳原隆元

 フランス1部トゥールーズから完全移籍でガンバ大阪に加入した元日本代表DF昌子源(27)が5日、入団会見を行なった。背番号は「3」。ジュニアユースに所属していた07年以来13年ぶりの古巣復帰で、青と黒のユニホームに袖を通した際には「ワクワクではなくドキドキしている」と緊張気味。「中学の時はそこまでサッカーで名前を残さなかった。G大阪のユニホームを着て、今回は名前を残したい。あの時とは違うオレを見せたい」と意気込んだ。

 鹿島で11年から8年間在籍。ロシア・ワールドカップではJリーグ勢唯一のレギュラーとなり、3試合に出場した。19年1月にトゥールーズへ完全移籍。ロシア・ワールドカップの決勝トーナメント1回戦・ベルギー戦では足が届かずに決勝点を決められ、その〝数センチの差〟を埋めるために海外へと活躍の場を求めた。

 だが昨年の9月、11月と右足首を負傷。「トゥールーズのメディカルの方となかなか合わなかった。長い間怪我で休んで、リハビリしても良くならなくて……。長い時間が掛かるなか、怪我を治すことを考えた時に日本に帰ろう、と」。日本復帰を画策し、古巣・鹿島にも売り込んだが、すでに編成を終えた後のタイミングだったため折り合わず。そこで手を挙げたG大阪入りが急転決まった。

 G大阪ジュニアユース時代を振り返れば「悔しい思いしかしていない。挫折ですよね」という。当時はFWで、同期には宇佐美貴史。「逆立ちしても勝てない」と言う他ない、圧倒的な実力の差を目の当たりにし、出場機会をなかなか得られなかった中学3年次にクラブを退団した。ただ「逆にそれが良かった。ガンバへの思いはあったので」と昌子。そして進学した米子北高でDFにコンバートされると才能が開花した。鹿島だけではなく日本を代表するセンターバックとなり、国際Aマッチ18キャップ。大きな成長を経てのガンバ復帰に「お世話になったスタッフもいる。恩返しできる強い気持ちを持っています」と話した。
 

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