マネやサラーを見出した敏腕SDの暗躍によって――南野拓実のリバプール加入が“電撃”と言えない理由

2020年01月19日 内藤秀明

リバプールはどのようなプロセスを踏んだのか?

CLでの活躍で注目株となっていた南野。リバプールはなぜあっさりと手中にできたのか。 (C) Getty Images

 すでに周知の通り、昨年12月19日にリバプールがレッドブル・ザルツブルクに所属する南野拓実の獲得を発表した。欧州の移籍市場がオープンする1月1日より前のアナウンスには驚きの声もあがった。

 だが、南野の獲得は、決して数週間と言う短期間で決まった"電撃的ディール"というわけではない。

 近年のリバプールでは、こうして選手の獲得に関して秘密裏のまま、発表を迎えることが多い。例えば、2018年の夏にモナコから加入したファビーニョが加入した際も、ほとんどのメディアが事前に情報をキャッチすることができなかった。リバプールが、数年に渡って、ファビーニョのプレーと性格の両方を吟味し、クラブのスタイルと合致すると判断したうえで、本格的な交渉に乗り出すなど、長期的なプロジェクトだったにもかかわらずだ。

 南野の移籍もこのファビーニョのパターンに近い。公式発表の数日前にリバプールの番記者からリーク情報があったものの、長年に渡ってクラブが南野を追い続けていたという情報はほとんど漏れていなかった。

 では、具体的にはどのようなプロセスを経て、この日本代表FWの獲得に至ったのだろうか。
 
 ファビーニョのケースと同様にリバプールは、なんと6年に及ぶ長期間に渡って、南野のスカウティングを続けてきた。

 2013年、当時セレッソ大阪に所属していた18歳の若武者は、Jリーグの最優秀若手賞を獲得したほか、大久保嘉人の保持するクラブ最年少ゴール記録も更新するなど、10代ながら出色のパフォーマンスを披露していた。

 同年の夏に大阪で行なわれたマンチェスター・ユナイテッドとの親善試合でも、1ゴール・1アシストの活躍。リバプールは、この時から関心を持っていた。

 ここから始まった"追跡"は、2015年に20歳の南野がオーストリアの強豪ザルツブルクに加入した後も継続された。英紙『Mirror』によれば、レッズ(リバプールの愛称)のスカウティングは、プレースタッツだけでなく、性格などの内面的な情報まで細部にまで至ったという。

 長年のモニタリングに加え、今シーズンのチャンピオンズ・リーグでの直接対決で1ゴール・1アシストのパフォーマンスを披露したことで、リバプールは南野獲得に本腰を入れたのだ。

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