【松本】食べ物も喉通らず極限の状態に…今季全てを出し切った反町監督。8年長期政権の終焉が持つ意味

2019年12月13日 大枝 令

J1残留を期して臨むも、長期政権による負の側面が足枷となった感は否めない

8シーズンにわたって松本の指揮を執った反町監督。今季は全てを出し切って戦い抜いたが、J1残留には及ばなかった。写真:徳原隆元

 松本山雅FCの歴史が、新たなフェーズに突入した。

 2012年のJリーグ参入時に就任した反町康治監督が、今季終了時点でJ最長となる8シーズンの役目を終えて退任。11日に松本市内のホテルで退任記者会見に臨み、時折晴れやかな表情を浮かべながら報道陣の質問に応じた。「(監督は)追われるように夜逃げする職業。こうやってたくさん集まってくれるのはある意味不思議でうれしいもの」。双方が納得したうえで長期政権に幕を引き、クラブは次なるステップへ踏み出すこととなった。


 反町監督は8年間で2度、松本をJ1の舞台に引き上げた。2011年まで指揮を執った湘南時代とは対照的に、ディフェンスの構築を重視。12年は、JFLとの入れ替え制度が導入されたシーズンでもある。前年に四苦八苦してようやく這い上がった舞台からとんぼ返りしないよう、選手の力量を踏まえて現実的なチームビルディングを行なった。

 小松憲太や塩沢勝吾など泥くさくハードワークできる選手を重用することでメッセージを発し、走力を生かした統一感のある集団を構築した。1年目は15勝14分13敗の12位でフィニッシュ。ここで土台ができたことが非常に大きかった。3年目の2014年に2位でスピード昇格を果たし、クラブ創設50周年の節目に当たる15年は、初めてJ1の舞台に挑戦。残留は果たせなかったものの、「冒険旅行」はクラブにとって大きな財産となった。

 さらに反町体制は続く。チーム編成への関与を深めるなどし、18年には僅差でJ2優勝。そして今季、4年ぶり2度目となるJ1に残留を期して臨んだ。

 しかし結果は、6勝13分15敗の勝点31で17位。再び自動降格の憂き目に遭った。会見で「長くやることが果たしていいのかと自問自答した中で答えを出したが、そういう意味では悔いのない形で終わらせていただく」と語った反町監督。今季はまさに自身が言う通り、長期政権による負の側面が足枷となった感が否めない。

 例えば就任当初の反町監督は、フラットに選手を評価して先発を選ぶ――という観点から、「誰がいくらもらっているかは一切知らない」と断言していた。しかし今季、補強の目玉と見込んで大枚をはたいたレアンドロ・ペレイラの年俸を把握し、「クラブがこれだけ金をかけたんだから、何とかしなければいけない」と頭を悩ませていた。関与を深めたがゆえに生まれた難題とも言える。
 

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