18年間の現役生活に終止符…背中で語る男・坪井慶介を育んだ元日本代表レジェンドの背中

2019年11月21日 佐藤亮太

02年、奇しくも井原が浦和で現役を終えるシーズンに大卒ルーキー坪井が加入した

引退記念セレモニーで挨拶する坪井。その眼から涙が溢れた。(C) J.LEAGUE PHOTOS

 浦和レッズで13年。湘南ベルマーレで3年。レノファ山口で2年。18年間のプロ生活に終止符を打つDF坪井慶介。その風貌とスピードを生かした守備は、まさに黒豹そのものだった。

 その坪井、若い選手に特別なことは何も言わないが同じ空間、同じ時間を過ごすだけで何かが伝わってくる、背中で語る男でもある。

 これはJ通算347試合。日本代表 国際Aマッチ40試合のキャリアの説得力だけではない。練習や試合のプレーはもちろんコンディション調整からスパイクの履き方、話す言葉やちょっとしたしぐさまで、これまでのサッカー人生が滲み出ている、その姿だ。

 以前、坪井は現役を続ける意義を「若い選手には普段の姿から何かを感じてほしい」「現役を続けながら、選手の間近で、そして身近で何かを伝え、残すことも重要かと思う」と話したが、その姿勢は2015年、湘南に加入時から、意識的に行なっていたように見えた。

 そのことを示す証言がある。

 浦和、湘南でともにプレーしたMF梅崎司は「なぜ40歳までプレーできたのか?その姿を見てきた。良い時も悪い時も変わらず、黙々と自分に向き合った人」と話せば、同じくMF山田直輝は「試合に出ていた頃よりも試合に出られなくなってからのツボさん(坪井)の姿勢を学んだ。今の自分の姿と重ねて、こうじゃなきゃいけないと省みることがある。ツボさんは試合に出るためじゃなく、うまくなるため、もっと良い選手になるため、やってきたと思う」と語った。

 その佇まいが湘南で、そして山口で自然と手本となったが、坪井もまた、ある選手の背中を見て育った。現在、柏レイソルでヘッドコーチを務める井原正巳だ。

 井原と言えば、現役時代、冷静な判断と屈強なフィジカルから「アジアの壁」と呼ばれ、日本代表として123試合に出場。Jリーグ発足前の日産自動車から横浜マリノス(現横浜F・マリノス)、ジュビロ磐田を経て、2001年、浦和に加入。翌02年、奇しくも現役を終えるシーズンに大卒ルーキー坪井が加入した。

 当時の坪井について井原はこう話す。
「体格的には決して恵まれたセンターバックではなかった。でも性格的にいろんなものを吸収しようという姿勢があった。とにかくスピードはピカイチ。その速さを生かしそうと僕がうまく動かしていた。練習では自分の持っているものを伝えようとした。本人も素直に聞き入れ、自分を伸ばそうと貪欲に取り組んでいた。そして、試合に出るごとに自信をつけていった」

 最終ライン3バックのリベロに井原。右に坪井。井原の指示を聞き、必死に動き回る坪井。加えて普段から快足FWエメルソンとマッチアップしていたのだから、成長しないわけがない。この甲斐あって坪井はルーキーイヤーにJリーグ新人王、フェアプレー個人賞、Jリーグカップニューヒーロー賞を受賞。成長する絶好の環境を得たと言える。
 

次ページ普段の姿で何かを伝える――当時の井原正巳の姿がいまの坪井慶介に重なる

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