【消えた逸材】リケルメ以上と評された「新しいマラドーナ」は、なぜ輝けなかったのか

2019年10月21日 チヅル・デ・ガルシア

「早すぎた移籍」がキャリアを左右する分岐点に

ボカからステップアップの移籍を実現し、ミドルスブラでプレーしていた頃のマリネッリ。フットボーラーとしての素質は確かだったが……。 (C)Getty Images

 アルゼンチンの強豪ボカ・ジュニオルスが、育成に定評のあったアルヘンティノス・ジュニオルスからユース世代の有望な若手をごっそりと買い取ったのが1997年。その中に、ファン・ロマン・リケルメがいたことは、今でもボケンセ(ボカのファン)たちの記憶に残っているはずだ。
 
 だがもうひとり、「新しいマラドーナ」と呼ばれ、将来を大いに期待された10番がいた事実を覚えている人は、はたしてどれくらいいるだろうか。
 
 男の名はカルロス・マリネッリ。確かな戦術眼と優れたテクニック、さらに得点力も兼ね備えていたエンガンチェ(トップ下)の逸材は当時、リケルメ以上に高い評価を受けるスター候補のひとりだった。
 
 アルヘンティノスの指導者たちからも太鼓判を押されていたマリネッリは、12万ドル(約1320万円)の「移籍金」でボカに渡ると、下部リーグでもその才能の片鱗を示しつづけ、99年、まだ17歳だったにもかかわらず、U-19チームのメンバーとして欧州遠征に参加した。
 
「新しいマラドーナ」の肩書きを持つ若者に、欧州のスカウトが着目しないわけがない。とりわけ強い興味を示したのがイングランドのミドルスブラで、ボカのトップチームではまだプレーした経験がなく、レセルバ(サテライトチーム)で1試合に出場しただけのヤングレタレントを400万ドル(約4億4000万円)で落札した。
 
 アルゼンチン出身のティーンエージャーにとって、イングランドでプロサッカー選手としてのキャリアをスタートするのは夢である。その夢を実現したのだ。しかし、この「早すぎた移籍」が、マリネッリのキャリアを大きく左右する分岐点だったと言っていい。
 

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