【連載・東京2020】大迫敬介/中編「“もう絶望的だった”プロ入りから、A代表入りを果たすまで」

2019年10月21日 多田哲平(サッカーダイジェスト)

「シュートストップは武器だったけど…」

2015年からアンダーカテゴリーの代表にはコンスタントに招集されている。初めての海外遠征では衝撃を受けたという。写真:秋田耕二(スタジオサンエス)

 2020年に開催される東京五輪。本連載では、本大会での活躍が期待される注目株の生い立ちや夢舞台への想いに迫る。
 
 7回目は、抜群の反射神経を活かしたセービングが持ち味で、今季上位争いをするサンフレッチェ広島の堅守を支えている大迫敬介が登場。
 
 中学時代まで鹿児島で過ごした大迫は、プロを夢見て広島ユースへと入団。高校3年への進級を間近に控えた17年3月にトップチームとプロ契約を結ぶと、今年は広島の正守護神の座を射止め、さらに今年5月のキリンチャレンジカップでは当時19歳にしてA代表に初選出と、飛躍のシーズンを送っている。まさに破竹の勢いでステップアップする守護神は、いかに育ってきたのか。
 
 中編では、高校時代に感じていた意外なウィークポイント、そして今に活きている経験、公式戦の出番が得られなかったプロ1年目の苦難をお届けする。

前編はこちら
【連載・東京2020】大迫敬介/前編「広島ユースは理想郷だった。高校サッカーの選択肢もあったけど…」

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――廣末陸選手、若原智哉選手など逸材揃いの年代で、大迫選手はU-16から世代別代表に初招集されています。初めての代表活動で感じたものは?
「代表入りはひとつ目指してきたものでしたし、そこで通用する手応えがあったのも確かです。初めは緊張しましたけど、全部が初めての体験だったので、刺激だらけだったのは覚えています」

 ――具体的には?
「沖縄の国内キャンプから参加して、初めて海外にいったのが、たしかイタリア遠征でした。その時に感じたレベルの高さは強烈でした。こんなに上手い選手がいるんだなと。そこで世界との差を痛感しましたね」
 
――ただ、代表への想いも芽生えたのでは?
「そうですね。常に代表に入り続けたいという想いは、やっぱりそこで強くなりました」
 
――代表に入り続けるため、また試合で勝つために力を入れていたのは?
「シュートストップのところは武器だったので、そこは常に磨きをかけました。どんな試合でもピンチはあるものなので、そこでチームを助けられるようにと」
 
――どちらかと言えば、短所を伸ばすというより、長所を伸ばしていたと?
「そうですね。でも、短所ももちろんあったので、ウィークポイントが少しでもストロングポイントに変えられるように、というのは考えていました」
 
――具体的にウィークポイントはどんなところ?
「PKや駆け引きの部分です。日頃からチームメイトに手伝ってもらって練習していました。それとビルドアップも課題だと思っていて、そこもすごく苦労しました。今でもまだまだですけど、トップチームでもGKを含めたビルドアップをやっていて、少しずつ成長しているのかなと。少しずつ仲間と合わせられるようになってきた感覚はあります」
 
――なぜ駆け引きが苦手だったのでしょう。
「考え過ぎてしまっていたのかもしれません、でも今はトップチームで、(林)卓人さんや(廣永)遼太郎くんといった先輩に話を聞きながら、少しずつ良くなってきている実感があります」
 

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