【セルジオ越後】日本と南米をつなげてくれた偉人“北山さん”…その功績を無駄にしてはいけない

2019年07月25日 サッカーダイジェスト編集部

約40年に渡って日本と南米の関係構築に大きな貢献をしてくれた

6月から開催されたコパ・アメリカのウルグアイ戦で、日本の選手たちは北山さんを悼み、喪章を巻いた。(C)Getty Images

 日本と南米の交流を深め、両国の架け橋として活躍されていた故・北山朝徳さんが7月22日に令和元年度の外務大臣賞を受賞した。先月の18日に亡くなった北山さんはアルゼンチンに在中して南米サッカー連盟との仲介役を務め、日本サッカーの発展に尽力してくれた人だ。

 彼が残した功績の大きさは計り知れない。例えば、2002年のワールドカップ招致活動の際に南米サッカー連盟が日本を支持してくれたのは、彼が信頼関係を深めてくれたからだし、それまで海外クラブと対外試合をしていた日本代表が代表チームと国際Aマッチを戦うようになったのも、彼が南米の国を招待してくれたのがはじまりだ。(ハンス・)オフト監督が率いた日本がキリンカップでアルゼンチンとウェールズと戦った試合は、今でも鮮明に覚えているよ。
 
 こうした世界に出ていくきっかけを得た日本代表は年々力をつけて、ワールドカップの常連国になれた。今の日本代表があるのは、アルゼンチンをはじめとした南米へのパイプを北山さんが開いてくれたからこそなんだ。

 さらにJリーグが発足してからは、日本のクラブチームに南米の監督や選手を数多く紹介してくれた。例えば、初代リーグ得点王に輝いたラモン・ディアスをマリノスに誘ったのが、他ならぬこの北山さんだったんだ。

 アルゼンチンで旅行や運送業など様々な事業を展開する「TOSHIN」という会社を経営するかたわらで、約40年に渡って日本と南米の関係構築に大きな貢献をしてくれたんだ。なんとも頭の下がる話だよ。忙しいなかで合間を縫って、ルヴァンカップと南米のカップ戦(コパ・スダメリカーナ)王者が戦う際には毎年日本に戻ってきて、南米諸国と日本が対戦する代表戦も毎回訪れてくれていた。
 
 北山さんは明るくてジョークが好きだった。誰とでもフレンドリーに接する彼だったからこそ、ラテンの南米に馴染めたのかもしれないね。日本サッカー協会は『南米には北山さんがいるから大丈夫だ』と絶対の信頼を置いていたし、国際委員という役職を与えていたのも、当然だ。
 

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