レギュラー到達のアタッカーは25年間で4人だけ――久保建英はレアル・マドリーで輝けるのか?

2019年07月04日 加部 究

いきなりビッグクラブで成功した日本人はいない

レアル・マドリーへの移籍を実現させた久保。果たしてトップチームで輝きを放つのか? (C) SOCCER DIGEST

 メガクラブへのステップアップは、まだ18歳という久保建英のキャリアに今後どんな影響を与えるのか。中田英寿や本田圭佑、中村俊輔などのヨーロッパでの歩みを参考資料に、レアル・マドリーのトップチームで輝くための条件を探ってみた。 文●加部 究(スポーツライター)
 
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 スポーツの醍醐味は、未知との遭遇だ。記録は書き換えられ、新しい怪物は常識を覆す。
 
 だから久保建英という日本サッカー史に例を見ないタイプの才能の大きさは、たぶん誰にも推し量れない。せいぜいやれるのは、半世紀以上眺め続けた歴史を頼りに、いくつかの可能性を探ることくらいだ。
 
 ネガティブな材料から示せば、まだ日本には、いきなり欧州のビッグクラブで成功した例がない。親日派のアーセン・ヴェンゲルが長期政権を敷いたアーセナルには、稲本潤一を皮切りに、宮市亮、浅野拓磨が入団したが、誰もロンドン(アーセナルの本拠)では確かな足跡を残せていない。長く日本代表で中核を担った稲本は、やがてアーセナルを離れると、イングランドやドイツの中堅クラブでキャリアを重ねた。宮市はレンタル先のフェイエノールトでは衝撃的なデビューを飾ったが、そのあとは怪我に泣いた。
 
 ガンバ大阪で「クラブ史上最高傑作」と期待を集めた宇佐美貴史も、19歳でバイエルンに移籍をした。確かに欧州チャンピオンズ・リーグの優勝メダルをかけたので、それだけでも金字塔とも言えるが、その後のドイツでの低評価を覆せなかった。
 
 元ドイツ代表で、かつてジェフ市原(当時)時代には得点王に輝いたフランク・オルデネヴィッツ(通称オッツェ)氏を筆頭に「バイエルンに行くのは早過ぎた」との見解が一致している。年代別代表の国際試合で、宇佐美が相手のエースより見劣りすることはなかったという。しかし常にドイツ全土の才能が集結し、まして欧州制覇を遂げた名門クラブは、Jアカデミーから生まれた未曽有の天才にとっても、最初のハードルにしてはあまりに高過ぎた。
 
 ただし欧州の窓口としてビッグクラブは荷が重いが、反面中堅以下のクラブから成り上がるのも同じように難しい。特に周囲との連係で光るタイプのアタッカーは、環境の選択が生命線になる。例えば、ドイツでも清武弘嗣の才能には、多くの関係者が着目していた。セビージャからセレッソ大阪に戻ってしまったあとにも、前出のオッツェ氏に言われた。
 
「ドイツでもいくつものクラブが欲しがっている。なぜ帰国したのか尋ねてほしい」
 
 だがニュルンベルグ、ハノーファーと所属クラブが残留争いに巻き込まれ、常に頭の上をボールが通過していくような展開では、清武の見せ場は限られた。
 
 一方清武とは真逆のコントラストを描いたのが香川真司だった。体格もC大阪出身という背景も酷似したふたりだが、香川は攻守の途切れない連動を標榜するユルゲン・クロップ監督(現リバプール)にその才能を買われ、ドルトムントの軸に据えられた。全ての攻撃は香川を経由し、そこで味つけされてフィニッシュへと流れていく。リーグ連覇を果たし、2シーズン目は2冠達成(リーグとドイツ・カップ)の立役者として香川の価値は飛躍的に高まり、23歳でマンチェスター・ユナイテッド(以下マンU)の一員になった。
 
 圧倒的なフィジカル能力を備え、単独でもゲームの雌雄を逆転してしまうタイプが想定し難い日本人アタッカーにとっては、この香川のパターンが成功の方程式だった。
 

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