サンパオリと経験したペルーでの失敗と“奇才”ビエルサからの誘い――セバスティアン・ベカセッセ【独占インタビュー|中編】

2019年06月08日 チヅル・デ・ガルシア

コーチに誘われ、サンパオリとともにチリヘ

今でこそアルゼンチンで注目される監督の一人となったベカセッセだが、そこに至るには様々な出会いと下積みがあった。 (C) Getty Images

 昨シーズンのスーペル・リーガ(アルゼンチン1部)では、中堅クラブのデフェンサ・イ・フスティシアが終盤戦まで優勝争いを演じて話題となった。レギュラーの大半が前所属のクラブで構想外となった選手で構成された"雑草軍団"を率いたのが、セバスティアン・ベカセッセだ。

 名立たる指揮官たちを輩出してきたアルゼンチン国内で、その手腕が注目を集めるようになった38歳の青年監は、15歳でプロになることを諦め、指導者を志した。そしてそのサッカー観の根底には、"奇才"と呼ばれたマルセロ・ビエルサへの憧れと幾多の出会いがあった――。

 その独占インタビューの中編では、のちにチリ代表でもコンビを組むホルヘ・サンパオリとの出会いや20代半ばで迎えた人生の転機について語ってもらった。

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――ホルヘ・サンパオリのアシスタントコーチに就任したのは、名門サッカースクール「レナト・セサリーニ」でコーチを務めていた頃だそうですね。

 ベカセッセ(以下、B):そうです。大学の仲間を通してクラウディオ・ビーバス(ビエルサの元アシスタントコーチ。現スポルティング・クリスタル監督)と知り合ったのですが、彼からの紹介でホルヘ(サンパオリ)と知り合いました。

 その時、ホルヘは、ロサリオ出身の選手の情報を必要としていたんです。私がすでに地元の選手たちの膨大なデータベースを作っていたので、連絡をくれた当初の目的は、そのデータだったんです。でも、私がビエルサ式サッカーの信奉者であることを知って興味を持ってくれて、2002年末に初めて会ったんです。そこで3時間くらいサッカーの話をしたあと、「私のアシスタントコーチにならないか」と誘ってくれたんですよ。

 当時の彼はペルーのスポルト・ボーイズというクラブの監督に就任したばかりで、私にとっては家族と離れて見知らぬ土地に行くという大きな環境の変化を意味していました。ただ、22歳で正式に1部リーグのクラブのコーチになるチャンスを逃すわけには行かず、迷わず承諾しました。

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