【連載・東京2020】遠藤渓太/中編「”幼馴染でありライバル”の存在が刺激になった」

2019年06月10日 サッカーダイジェスト編集部

一時は大学に行く気満々だった

今季でプロ4年目。思っても見なかったトップ昇格を勝ち取ったユース時代を振り返る。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

 2020年に開催される東京五輪。本連載では、活躍が期待される注目株の生い立ちや本大会への想いに迫る。
 
 3回目は、抜群のドリブルテクニックを誇り、局面の打開力に優れる遠藤渓太が登場。横浜F・マリノスの下部組織出身で、ユースでの最終学年ではクラブユース選手権でチームの優勝に大きく貢献、自身は大会MVPと得点王を獲得し、トップ昇格を勝ち取った。
 
 プロ入り後は1年目から出場機会を得て、早い段階でA契約を勝ち取る。背番号が18から11に変わった3年目の昨季には、ルヴァンカップのニューヒーロー賞を受賞。迎えた今季も左サイドを主戦場に、横浜の『アタッキング・フットボール』を支える貴重な戦力として、際立つパフォーマンスを披露している。
 
 チャンスメーカーにもフィニッシャーにもなれる成長著しいアタッカーは、ここまでどんなサッカー人生を歩んできたのか。中編では、プロになるための心構えを学んだ高校時代や、幼馴染でありライバルである和田昌士への想いを深く掘り下げる。
 
前編はこちらから
【連載・東京2020】遠藤渓太/前編「中学時代は『△』評価も、気がつけば"敵なし状態"に」
 
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――トップ昇格が決まったのはいつ頃でしたか?
「クラブユース選手権が終わって、1か月くらい経った頃ですね」
 
――どんな経緯で?
「クラブユース選手権で得点王とMVPを獲ってから、多くの大学からオファーをもらったんですよ。その頃は大学に行く気満々でした。クラブユース選手権が終わった後の(川崎)フロンターレとの練習試合では2失点に絡む酷い出来で、これではトップ昇格はできないだろうって勝手に思っていましたから。それで、どこの大学にしようか迷っていた時に、クラブ側から待ったがかかって、昇格が決まったんです」
 
――当然、第一希望はトップ昇格だったわけですよね?
「それはもちろん」
 
――だからこそ、夏のクラブユース選手権まで進路を決めなかったのですか?
「そもそも大学から話が来ていなかったんですよ。特待生としてではなく、指定校推薦で来てくれとしか。それが、クラブユース選手権が終わった途端に、やっぱり特待枠で来てくれ、って言われるようになって。やっぱりスポーツ推薦で入るのと、指定校推薦では全然違いますからね」
 
――ではトップチームに昇格できると決まった時の気持ちは?
「本当にビックリしました。ただ嬉しかったのは確かです」
 

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