識者が選ぶ、平成の日本代表ベスト11!「多士済々のMF陣。俊輔、遠藤、今野も選びたかったが…」

2019年04月24日 後藤健生

「実績重視型」でセレクトしたファーストチームの顔ぶれは?

後藤氏が選んだ“平成の”日本代表ベスト11!中盤は候補者多数で選出が難航したようだ。(C) Getty Images

 平成の時代も残りわずかとなったが、この30年余りで日本サッカー界は大きな進化を遂げてきた。とりわけ日本代表は苦難の道のりを経てワールドカップ初出場を果たし、3度のベスト16進出を実現するなど劇的な変貌を見せている。そんな平成の時代を振り返ると、日本代表に欠かせない11人はいかなる構成になるのか。昭和の時代から日本サッカーの浮き沈みを記者として見守ってきた識者に、「平成の日本代表ベスト11」を選んでもらった。
 
 
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 平成の時代に日本代表というチームの姿は大きく変わった。昭和の時代、日本代表の目標はオリンピックだった。だが、昭和時代末期にプロ選手にもオリンピックへの参加の門戸が開かれ、サッカーの場合は23歳以下の大会に変わった。日本のサッカー界自体も昭和の終わりにプロ化に向けて動き始めており、初の外国人監督としてハンス・オフトが就任してからは、日本代表の最大の目標はワールドカップになったのだ。
 
 ファーストチームは、いわば「実績重視型」だ。ワールドカップに3度も出場したり、Aマッチのキャップ数が100を超えたりするような歴戦の勇士を集めた。
 
 トップには、やはり前線でボールを収める能力の高い現代表の中心である大迫勇也を選び、やはりフィジカルの強い高原直泰とコンビを組んでもらった。そこに香川真司が絡んで行けば素晴らしい攻撃のユニットが完成する。その他、点を取る技術が高く、戦う気持ちを前面に出してくれる中山雅史や岡崎慎司も選びたかったのだが……。
 
 この時代、日本のMFはまさに多士済々だった。中村俊輔、遠藤保仁、今野泰幸など、選びたい選手はいくらもいるが、代表での実積を重視して、フィジカルと気持ちの強さを持って戦って欧州移籍の先頭に立った中田英寿、多彩なパスで攻撃を組み立てた名波浩、代表のキャプテンとしてチームを支え続けた長谷部誠の3人を選んだ。
 
 最終ラインの井原は昭和時代最後から戦い続け、「ドーハの悲劇」を経験した唯一の選手。GKは川口能活と楢崎正剛。どちらを選ぶか難しいところだが、楢崎の安定感を優先させた。
 
 監督は、戦術的な戦い方を導入し、若手を成長させた実績を考えれば、フィリップ・トルシエしか考えられない。
 

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