人生を変えたマラドーナへの賛歌――“神様”に憧れた日本の少年がアルゼンチンでプロになるまで【前編】

2019年01月30日 チヅル・デ・ガルシア

漁師町で育ったサッカー少年

アルミランテ・ブラウンに所属する後藤航は、現在、日本人で唯一、アルゼンチンでプロとしてプレーする男だ。彼はなぜ南米サッカーに魅了されたのか? (C) Javier Garcia MARTINO

 今や多くの日本人選手がJリーグを飛び出し、欧州へ羽ばたくようになった。ドイツやスペイン、イングランドなど、その活躍の場を挙げれば、枚挙に暇がない。

 そんな時代の流れのなかで、南米、それもアルゼンチンでプロになろうと志す"サムライ"もいる。

 ここでは、高校卒業後に単身でアルゼンチンのクラブの門を叩き、現在、同国の3部リーグでプレーする後藤航(こう)の、プロになるまでの物語を紹介する。彼はいったいなぜ、南米に憧れ、そしてプロになると決心したのだろうか?

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「Vos de qué te reís?」(お前は何、笑ってんだよ?)

 スタジアムで写真撮影を行なっている間、後藤航の口から完璧なポルテーニョ(ブエノスアイレスっ子)訛りのスペイン語が飛び出す。クラブのセキュリティー担当者ファビアンが、カメラを前にポーズをとる後藤を見ながら、笑みをこぼしていたからだ。

「コウがうちのクラブに来たばかりの頃は、みんなで散々茶化してやったんだが、今ではコウが俺たちをからかうようになってね」

 筋骨隆々の大きな身体と険しい顔つきから、近寄り難い雰囲気を漂わせていたファビアンだが、この時は、まるで愛しい弟のことを話しているかのように優しい表情を見せた。

 練習を終えてクラブハウスに向うチームメイトの一人ひとりが、すれ違いざまに後藤に声をかける。アルゼンチン3部リーグに属するクラブ「アルミランテ・ブラウン」に入団してから半年。22歳の日本人は、すっかりチームに溶け込んでいる様子だ。

 1996年4月12日生まれの後藤は、古くから漁師町として知られる鎌倉市腰越出身。子どもの頃からサッカーに興じ、ディエゴ・マラドーナに強い憧れを感じていた。

「小さい頃に通っていたサッカークラブのコーチがマラドーナの大ファンで、いろんなことを教えてもらったんですが、ある日、コーチがマラドーナの引退試合のビデオをプレゼントしてくれたんです。

 そのビデオのなかに、『La Mano de Dios』という歌をBGMに使ったマラドーナのプレー集があって、それを見てからマラドーナが大好きになって。その後も、マラドーナのDVDをもらったり、写真をたくさん集めて家中に貼ってました。」

 後藤をのめり込ませた「La Mano de Dios」は、2000年に27歳の若さで交通事故死したアルゼンチンの人気歌手ロドリーゴが、マラドーナに捧げた賛歌だ。

 その内容は、貧しい環境で育ちながら、プロ選手になって家族を助け、1986年のメキシコ・ワールドカップ優勝した、アルゼンチンが生んだサッカー界の英雄の苦悩と栄光の半生を歌い上げている。

 ロドリーゴの出身地であるコルドバ州の音楽クアルテットの軽快なリズムに乗った歌だが、どことなく哀調を帯びた旋律が胸の奥まで響く。そんな歌に合わせた華麗なプレー集に、まだ少年だった後藤は心を掴まれた。

「僕の家も、当時は決して裕福な方ではなかったので、親がかなり苦労しながらサポートしてくれたのを覚えています。早朝に仕事に出て、夜遅くまで働いて、贅沢は全くしない生活で。それなのに、僕のためにサッカーの道具などは揃えてくれて、週末に休みが取れると試合の応援に駆けつけてくれたんです」 

 貧しい暮らしをしながらも、働き者で子煩悩だった両親の愛情に包まれて育ったマラドーナは、同じような境遇にあった後藤を夢中にさせ、やがてアルゼンチンでプロサッカー選手になるという大きな夢を抱かせた。

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