「親父には負けたくない」ヤンチャなクロアチア代表CBの原点とは?

2019年01月18日 ワールドサッカーダイジェスト編集部

父親は知る人ぞ知るストライカーだった。

ロシアW杯でヴィーダは主力CBとして決勝進出に貢献した。(C)Getty Images

 ベジクタシュに所属するクロアチア代表CBのドマゴイ・ヴィーダの父ルディカ・ヴィーダは、クロアチアでは知る人ぞ知るストライカーだ。石油会社で働きながらプロ選手としても活躍し、名門オシイェクでは若きダボル・シュケルともポジションを争った。
 
「ヘディングシュートが当たったクロスバーが3日間も揺れた」という伝説の持ち主は、独立直後のクロアチア1部リーグで地元の弱小クラブだったベリシュチェを牽引。1993-94シーズンには得点ランク3位の26ゴールを挙げている。
 
「息子たちがサッカー選手になるために特別なことをしたつもりはないが、私がピッチに立ったり、テレビに映ったりするのを観るのが好きでね。トレーニングに向かうときは、彼らもくっついてきたものさ」
 
 ドマゴイには4歳年上の兄フルボイエがいる。彼は弟以上のタレントだと見込まれていたが、二足の草鞋を履いて多忙を極めていたルディカは、その長男の面倒を見てやれなかったことを今でも悔やんでいる。ドマゴイが頭角を現わした頃は既に現役を引退。友人の勧めでオシイェクの下部組織に13歳で入団させ、50キロ離れた都市まで送り迎えをした。
 
「ジュニアチームだろうとオシイェクでプレーすることは簡単ではない。でも、私の名前がきっと彼の力となったと信じている」
 
 父ルディカは物静かな性格の持ち主だったが、ドマゴイは悪ふざけが好きなお調子者。学校ではイタズラを繰り返し、両親はしばしば呼び出された。14歳になって寮生活を始めると、ホームシックになって幾度となく脱走。「サッカーを辞める」と自棄になる次男を父は励まし、そして叱りつけた。
 
 父の「短く切れ!!」という忠告に耳を貸さず、ドマゴイは髪の毛を伸ばし始めた17歳にトップチーム・デビュー。ハードさとブロンドの長髪をトレードマークとするDFとして国内で注目される存在となった。
 

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