【天皇杯】山形に秘策あり! 大会4度目の下剋上へ、指揮官の不敵な笑みと古株たちの想い

2018年12月03日 頼野亜唯子

4年ぶりの決勝進出へ、準決勝は2015年以来の“みちのくダービー”に

J2勢として唯一勝ち残っている山形は4年ぶりの決勝進出を目指して仙台と対戦する。(C) J.LEAGUE PHOTOS

「秘策あるよ。あるあるある」
 
 天皇杯準決勝・仙台戦まで1週間を切ったその日、尋ねたこちらが拍子抜けするほどあっさりと、木山隆之監督は即答した。その口元に浮かんでいた笑みを「不敵な」と形容していいかどうかは分からない。ただ、2回戦で岐阜をPK戦の末に破った後、柏、FC東京、川崎とJ1勢を下してきた知将の頭のなかには、すでに「仙台に勝つならこういう展開」という絵が描かれているようだった。もちろん中身は秘中の秘だが、すでに某日の非公開練習で全員にイメージを共有させたという。「でもね、サッカーってそれを表現するのが難しい」と続けたが、そう言いながら遠くへ投げた視線は、勝って決勝に進む道だけを追っているように見えた。
 
 モンテディオ山形にとって4年ぶりの決勝進出を賭けた戦いは、3年ぶりのみちのくダービーという意味でも「負けられない戦い」である。山形と仙台のダービーの歴史は、両クラブがJリーグ入りする前から刻まれているが、2010年に初めてJ1でこの顔合わせが実現。しかし翌年に山形がJ2に降格し、みちのくダービーは途絶えた。
 
 2014年、山形は劇的な昇格プレーオフを経てJ1復帰を決める。その勢いのままに、クラブ史上初の天皇杯決勝戦という檜舞台に立った。こうして、翌2015年に"J1みちのくダービー"が復活した。ルヴァン杯を含めた3回の対戦成績は1勝1敗1分。けれども山形は1年でJ2に舞い戻り、ダービーの火は吹き消された。
 
 最後のダービーから3年が過ぎた。スタンドをモンテブルーとベガルタゴールドに二分する独特の空気を知る選手も少なくなった。当時在籍していたのは松岡亮輔、山田拓巳、汰木康也の三人。ピッチに立った経験があるのは松岡と山田だけだ。
 
 クラブ生え抜きでプロ11年目の山田は、2010年と2011年のダービーではやっとベンチ入りが叶った段階だった。だから、2015年の開幕戦で初めてその舞台に立った時のことはよく覚えている。
 「(みちのくダービーは)何度も見てはいたけど、自分がピッチに立つのは初めてで、すごい舞台だなと肌で感じました。いつもよりさらに緊張したことも覚えている。なかなか思うようにプレーできなかった気はしますが、どれだけ自分がやれたか、そこまでは記憶にないくらい無我夢中でした」
 

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