【独白】ドログバはなぜ40歳までプロでいられたのか? 背景にあったのは若き日に身につけた“心得”だ

2018年12月06日 羽澄凜太郎(サッカーダイジェストWeb)

「僕はプレッシャーを感じたことがない」

トップアスリートとして名を馳せたドログバは、いかにして成功を掴んだのか? 写真:徳原隆元

「凄く良い気分だよ。なぜかと言えば、選手として全てをやりきったと感じているからさ」

 節目の40歳を迎えて現役引退を決意し、「横浜ゴム」のグローバルアンバサダーとして早くもセカンドキャリアの第一歩を踏み出すべく来日した元コートジボワール代表FWディディエ・ドログバは、晴れやかな表情で自身の歩んだ軌跡を振り返った。

 改めて見直しても、彼のキャリアは希有だと言える。

 1998年、5歳で移住したフランスのル・マンでプロデビューを飾ってから、マルセイユ、チェルシー、ガラタサライなど、計6か国7クラブを渡り歩き、最後はアメリカ3部にあたるUSLプロフェッショナルリーグのフェニックス・ライジングFCで、その幕を閉じたのだ。

 しかしながら、ドログバは"早熟の天才"というわけでもない。

 19歳でル・マンに入団するまではセミプロを転々としており、プロデビューを飾ってからも、レギュラークラスとして認知されるには、リーグ・アンのギャンガンに移籍した2002-03シーズン、24歳の時まで待たなければならなかった。さらにチェルシーでチャンピオンズ・リーグ(CL)を手にしたのは、34歳の時である。

 ではいかにして彼は、「コートジボワールの英雄」や「アフリカ・サッカー界で史上最高のストライカー」といった、幾多の"呼び名"を与えられるまでの存在になり得たのだろうか?

 まず、何よりも、ドログバの凄みは、40歳までプロとして活躍したという事実が物語る。プレーしたリーグのレベルに差はあるにせよ、多くの選手が30代前半、もしくは20代後半でキャリアを退くなか、相手DFとの格闘を常に強いられ、得点を求められる最前線で生き続けたのは、並大抵のことではない。

 これは筆者が、昨年11月に来日した元アーセナルのDFで、ドログバと同じコートジボワール代表の一員でもあったエマヌエル・エブエに聞いた言葉だが、一線級で活躍していた彼でさえも、「この業界はメンタル的にかなりのプレッシャーを受ける。落ち込んでいたら、自分を見失う。明るく考えないとダメなんだ」と口にするほど、プロとして長くキャリアを積むことは容易ではない。

 しかしドログバは、他の選手たちとは違う考え方を持っている。長くトップで活躍することの秘訣を聞くと、「僕はフットボールをすることがプレッシャーだと感じたことがないんだ」と、少しばかり意外な答えが返ってきた。

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