モドリッチの「真の後継者」へ。コバチッチが兄貴分から学んだ極意

2018年11月17日 ワールドサッカーダイジェスト編集部

ひとりの人間としてアドバイスをくれる。

コバチッチ(右)にとってモドリッチ(左)は憧れの存在であり、兄のようにも慕う。(C)REUTERS/AFLO

 マテオ・コバチッチは生真面目な若者だ。ディナモ・ザグレブのユース時代から天才児と騒がれる存在だったが、試合中のタックルで右脚を複雑骨折し、15歳で選手生命の危機に立たされた。キリスト教への厚い信仰心を育んだのもその頃。16歳の時には、こんな武勇伝を残している。
 
 10か月のリハビリを経て復帰した直後の試合、コバチッチは再び右脚に激しいタックルを受けて倒されてしまう。両チームの選手が揉み合う中、スクっと立ち上がるとユニホームを脱ぎ捨て、輪の中に飛び込んでいった。その理由はこうだった。
 
「聖なるユニホームをまとって殴り合うのは不適切な行動だから」
 
 間もなくしてコバチッチはトップチームに昇格。敵陣を切り裂くドリブルと華麗なパスから、プレースタイルは違えど「クロアチアのリオネル・メッシ」と騒ぎ始めたメディアに対して、当時の監督ヴァヒッド・ハリルホジッチが報道規制を敷いたほどだった。
 
 クラブ史上最年少の17歳でキャプテンマークを巻き、18歳になった13年1月にはインテルへ電撃移籍。背番号10はインテル首脳陣の期待の現われだったが、適正ポジションすら定まっていなかったコバチッチには重荷だった。
 
 A代表デビューはインテル移籍の2か月後に迎えたブラジルW杯予選のセルビア戦。憧れのルカ・モドリッチと中盤センターを組むと、臆することなくその豊かな才能を発揮した。
 
 21歳となった15年夏には、キャリアの大きな転機を迎える。レアル・マドリーへの移籍だ。フロレンティーノ・ペレス会長ら首脳陣に対して獲得を進言したのは、誰あろうモドリッチだった。
 
「ペレス会長、彼はきっと2年後にはバロンドールを獲得しますよ」
 
 インテル時代は苦悩がプレーに如実に現われていたが、模範となる先輩が身近にいる環境は心身両方で大きなプラスとなった。
 
「ルカ(モドリッチ)はサッカー選手というよりも、ひとりの人間として僕にアドバイスをくれるんだ。例えば、『取り乱すなよ。常に冷静でクールな頭脳を持つべきだ』というようにね」
 

次ページ兄のように慕う先輩との別れを承知で…。

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