「日本は3連敗するかもしれない。でも…」英誌の熟練記者が“代表バッシング”にモノ申す!

2018年06月01日 マイケル・プラストウ

初出場から20年、大事なことを見失なっていないか

ガーナ戦で不甲斐なく完敗を喫した日本代表。それでもプラストウ記者はポジティブな要素はあったと力説する。写真:滝川敏之(サッカーダイジェスト写真部)

 世界中のフットボールファンがわくわくする、極上の1か月がやって来る。
 
 今回のワールドカップも、わたしの母国であるイングランドと長く暮らしてきた日本の両国が揃って出場する。なんとそんな夢のようなシチュエーションは1998年のフランス・ワールドカップから6大会連続で続いているのだ。少なくともJリーグが創設される前までは想像だにできなかった。思い出すのは94年アメリカ大会の予選。ともに"悲劇"を体験して本大会に駒を進められず大きくなショックを受けたのを、いまでも鮮明に覚えている。
 
 さて、日本はワールドカップ初出場から20年の節目を迎えた。いよいよ西野朗監督が選んだ最終登録メンバー23名も発表され、ここから臨戦モードに入る。

 
 その前日、水曜日のガーナ戦はたしかに不甲斐ない結果に終わった。これ以上ないほどの暗い雰囲気に包まれ、スタンドはもちろんプレスルームも然りだった。世界最大の祭典が目前に迫っているのに……。どうもこれは、いけない。
 
 選手やチーム、監督、戦術などについて議論し、大いに批評すべき時期はもちろんある。厳しい分析の目を向けて、問題点を指摘するのは大事な作業だ。日本のファンの間ではとりわけ議論が盛んだし、それが夜通し続くことも珍しくはない。これ自体は素晴らしいことだ。なかなか欧米の国でもここまでにはならない。ただ、分析や批評ばかりで期待感をどこかに忘れてしまってはいないか。一番大事なことを見失なっているのではないか。
 
 ワールドカップはもとより、唯一無二と言っていい世界最大の夢だ。選りすぐりのフットボーラーたちが4年に一度、最高のパフォーマンスを競い合う檜舞台。ファンやサポーターたちが世界中から集い、大いに交流し合う場所でもある。そして世界のサッカー少年たちは素直に、最高峰のプレーとプレーヤーに憧憬の念を抱くのだ。98年当時、日本のファンの誰もがその真髄を当事者として初体験し、感動しただろう。翻って20年が経ったいまはどうだろうか。

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