【週刊サッカーダイジェスト編集長の慧眼】「日本化」を追求した8年の集大成として|ブラジルW杯展望

2014年06月13日 谷沢直也(サッカーダイジェスト編集長)

日本人の特性を活かした攻撃的なスタイルの志向。

06年のドイツW杯後に日本代表監督に就任したオシム氏。日本人の特性を活かした攻撃的なスタイルを「日本化」と表現し、その完成を目指したが……。 (C) SOCCER DIGEST

 4年前の6月14日、南アフリカのブルームフォンテーンで日本がカメルーンを1-0で破った瞬間、記者席から観ていた私は意外なほど冷静にその様子を見つめていた。大会前に勝点1を獲得することすらままならないと思われていたチームが、初戦で歴史的な1勝を手にしたのである。もっと興奮してもいいシチュエーションだったのだが、淡々と原稿を書いていたのを覚えている。
 
 もちろん、日本が勝ったことに不満があったわけではない。
 
 ワールドカップのような国際大会では、結果がすべてだ。その点で、岡田武史監督が本大会直前に下した戦術変更は勝負師としての真骨頂であり、選手たちもそれを短い時間で受け入れ、世界の猛者を相手にしても局面の勝負で互角以上に戦っていた。岡田監督は以前、横浜F・マリノスを率いていた時のインタビューでこう語っている。
 
「日本の選手は子供の頃から組織的な守備を教えられているし、規律を守って行動もできる。だから、これとこれをやろうといくつかの約束事を与えれば、守備組織を作るのにそれほど時間はかからない」
 
 4年に一度の大舞台で、まさにこれを体現したのである。指揮官として、会心の勝利と言えた。
 
 しかし、南アフリカ・ワールドカップに向けたチームが2006年7月に発足した当時のことを思うと、自分の心の中で、どこかしっくりとこなかった。
 
 1分け2敗で敗れ去ったドイツ・ワールドカップの苦い記憶を払拭すべく、新たに就任したイビチャ・オシム監督が提唱した「日本化」は、日本人の特長を活かした攻撃的なスタイルを志向するものだった。
 
「人とボールが動くサッカー」「考えて走る」などの語録で表現された哲学の解釈は様々だが、目指したものは、
1)攻守に渡る献身性
2)安定したポゼッション
3)アジリティー(敏捷性)と連動性を駆使した敵陣の攻略
 この3つに大きく分けられたと思う。
 
 1)と2)に関しては、オシム監督は就任後すぐに着手。どんなに実績のある選手でも特別扱いせず、ピッチに立つ全員に高い守備意識を求めた。そしてひとたびマイボールにしたら、最終ラインからショートパスをつなぎ、「3人目の動き」なども交えながらチーム全体でアクションを起こしていく。
 
 足下につなぐだけのポゼッションを「各駅停車のようなボール回し」と表現し、最終ラインにはビルドアップの精度向上を常に要求。酷暑の東南アジアで行なわれた07年7月のアジアカップでは「ボールは汗をかかない」と、より速く、より効率的なパス回しを追求した。
 
 もっとも、この大会では最後まで3)のテーマをクリアできず、決定力不足に陥った日本は4位に終わっている。その後、オシム監督はこの課題に取り組むべく、大久保嘉人や前田遼一、松井大輔らを次々と招集。同年9月の欧州遠征でオーストリア、スイスを相手に好パフォーマンスを見せながら、11月に脳梗塞で倒れ、志半ばで退任することとなったのは周知の通りだ。

次ページ新陳代謝を怠らなかった岡田前監督の功績。

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