【解任劇の舞台裏】電撃発表までの13日間に何があったのか

2018年04月09日 白鳥和洋(サッカーダイジェスト)

田嶋会長は西野氏にいつオファーをしたのか

3月にマリとウクライナに敗れたハリルホジッチ監督は、4月9日に解任を言い渡された。写真:滝川敏之(サッカーダイジェスト写真部)

 日本サッカー協会の田嶋幸三会長曰く、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督と契約を解除したのは4月7日(発表は4月9日)。1-2で敗れたウクライナ戦から11日目のことだった。
 
 田嶋会長のコメントから推察すると、解任の決め手となったのは3月のベルギー遠征。マリ戦(3月23日)、ウクライナ戦(3月27日)での低調なパフォーマンにあったと言えそうだ。実際、同会長は「マリ戦とウクライナ戦、この試合の期間、後において、(監督と)選手たちとの信頼関係が多少薄れてきた」「コミュニケーションなど信頼面がだんだん変わってきて、逆転したのがマリ戦、ウクライナ戦だと認識しています」とコメントしている。
 
 ウクライナ戦から解任に至るまで時間がかかったのは、法務的な問題をクリアにしなければならなかったからでもある。
 
「法務と相談したのは、どういう形で解除が完結するのか、我々が契約を切る時に私たちにどのような義務が発生するのか。それをしっかりと分かっていないと決断はできないので、ウクライナ戦から時間を要したのはそういうところでした」
 
 そう証言した田嶋会長が、西野朗氏に日本代表監督のオファーをしたのはウクライナ戦の翌週、4月の1週目だった。
 
「名古屋で会いました。その後、金曜日の夜にもあって話をしています。西野さんをご存知の方は知っていらっしゃると思いますが、慎重な方で色んなことを考えて結論を出してくれました。ただ、正式に打診をするのはハリルホジッチ監督に言ってからと決めていました」
 
 なぜ後任を西野氏にしたかと言えば、「新しい監督には内部からの昇格しかないと考えました。この決断はたった2か月しか、ワールドカップまでに時間がないということ。それを考え、内部でこのチームを一番見てきた方」(田嶋会長)だったからだ。「よく漏れなかったっていうぐらい多くの人に相談し、この結論に至った」という苦悩も、田嶋会長は明かしている。
 
 「後任・西野」という構想を携えて、4月7日、田嶋会長はフランス時間の18時にパリのホテルでハリルホジッチと直接会った。
 
「直接言った時の状況で言えば、やはりびっくりしているというのが僕の印象です。『まさかこのことを言われるとは』ということで、多少動揺もし、怒りもありました。それは事実です。『どうしてなのだ?』と理由も含めて聞かれたのも事実です。ただ、あれもあった、これがあった、何があったとそこで羅列するつもりはありませんでした。事実として、契約を解除することを伝えました」
 

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