なぜC大阪U-18の有望株が名伯楽・小嶺監督の下へ? U-17W杯組のレフティが語る移籍の真相

2018年03月27日 松尾祐希(サッカーダイジェストWEB)

鈴木が下した先を見据えた決断。その原点はU-17日本代表の活動にあり

溌剌としたプレーを見せた鈴木。その表情はどこか晴れやかだった。写真:松尾祐希(サッカーダイジェストWeb編集部)

 近年、高校2年時の夏以降にJユースから高体連に活路を求める者が出てきている。15年度の選手権に出場した、神谷優太(愛媛)は東京Vユースから青森山田高に転入。昨年は、早くから将来を嘱望されてきた中村駿太(山形)が柏U-18から同じく青森の地に渡った。

 そのふたりに共通していたのは、環境を変え、高卒でのプロ入りを掴み取るという明確な目標があった点だ。最終的には自らの足で結果を残し、彼らは高校卒業後に活躍の場をJリーグに移した。
 
 一昔前ではまるで考えられなかったJクラブのアカデミーから高校への移籍。神谷と中村の成功もあって、転籍のハードルは以前ほど感じられなくなった。そして、今年も同じように決断を下したプレーヤーがいる。C大阪U-18に所属していた鈴木冬一だ。
 
 3月中旬に九州にやってきたという鈴木は、名将・小嶺忠敏監督率いる長崎総科大附に合流を果たして約2週間が経過した。

 厳密に言えば、遠征の影響から加入当初はBチームでプレーしていたため、その時期を除くと約1週間。まだ、ほとんどの選手の特徴も知りえていない状況下だが、春休みの遠征から鈴木はAチームで新天地での活動をスタートさせている。
 
 そして、ほぼ準備期間がないまま、26日に迎えた静岡での親善大会。伝統校・帝京との対戦では、新しいチームメイトとともに戦うのはまだ3試合目という状況ながらも、鈴木は持ち前のテクニックと技術力を発揮する。きっちりと結果を残し、1ゴール・1アシストの活躍で長崎総科大附を逆転勝利に導いたのは流石の一言だ。
 
 試合後、鈴木に移籍の真相を尋ね、何故このタイミングで新天地にやってきたのかを直撃した。すると、本人の口から出てきたのは、高校卒業後にJ入りを果たすという目的だけではなく、ひとつ先を見据えた決断であったと教えてくれた。
 
 移籍の話が具体的に持ち上がったのは今年の1月中旬。当初、本人は「全く移籍は考えていなかった」一方で、心の中に"もやもや"としたものがあったという。それが10月にインドで開催されたU-17ワールドカップに出場した際に、代表活動で生まれた"ある想い"だった。

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