【番記者通信】CL決勝で実現した「マドリードダービー」の歴史と魅力|R・マドリー

2014年05月22日 パブロ・ポロ

シメオネ監督就任でふたたび熱気を取り戻す。

マドリード市内は高揚感に包まれている。 (C) Getty Images

 先日、たまたまサンチャゴ・ベルナベウのそばを通った。そこにかなりの人が並んでいるのを見て、私は不思議に思った。チャンピオンズ・リーグ(CL)決勝のチケットは、すでにそのすべてが幸運なファンの手元に渡っているからだ。
 
 行列を作っていた彼らの目的は、ベルナベウで決勝を観戦するためのチケットだった。試合当日、スタジアムにはスクリーンが特設され、リスボンでの決勝戦が生中継される。信じられないことに、そのチケットさえもダフ屋が高額でさばいている。クラブが無料で配布したチケットには、すでに70ユーロ(約9800円)の高値がついていた。あるクラブの幹部は言った。
 
「スタジアムを5つ満員にすることもできた」
 
 マドリードはすでに決勝の空気で包まれている。同じ街の2つのクラブがCLファイナルを戦うのは史上初めてだ。レアル・マドリーは「デシマ」(スペイン語で10の序数。ここでは10回目のCL制覇を指す)の夢を持ち、40年前に決勝を一度だけ戦ったアトレティコ・マドリーにはCL初優勝という夢がある。
 
 マドリー(レアル・マドリーのこと)とアトレティコのライバル意識は熾烈だ。バルセロナを別にすれば、マドリーの最大のライバルはいつだってアトレティコであり、逆もまた同じだった。1990年代以降は、2部降格などアトレティコの低迷がダービーの熱をやや下げた。事実、99年から2013年の国王杯決勝まで、14年に渡ってマドリーはアトレティコに勝ち続けた。
 
 しかし、その決勝が分岐点だったのかもしれない。ディエゴ・シメオネ監督の就任でアトレティコが上昇気流に乗り、ダービーはふたたび熱気を取り戻した。試合を包む緊張感、ピッチでのやり合い、個の勝負、激しいぶつかり合い。マドリーとバルサのクラシコが、ダービーの二の次になった時もあった。マドリーはいまでは街のライバルを警戒し、リスペクトを持っている。か弱き隣人に過ぎなかったアトレティコは、いまやスペインだけでなくヨーロッパの舞台でも強敵になったのだ。
 
 選手間のライバル意識も激しかったが、70年代はより友好的だった。食事を共にする仲ですらあったという。アルフレッド・ディ・ステファノ(マドリー)とルイス・アラゴネス(アトレティコ)とは互いに尊重し合う仲間でもあったそうだ。
 
 もっとも、時が経つにつれ、この2人のような関係は珍しくなっていく。有名なエピソードが、ミチェル、フェルナンド・イエロ、オスカル・ルジェリ、ミゲル・テンディージョのマドリー勢と、アトレティコのピソ・ゴメスの路上でのやり合いだ。ドライブ中だったマドリーの4人が、街中に見つけたピソ・ゴメスを馬鹿にしたことで起きたいざこざだった。
 
 こうした対抗意識はピッチの中に持ち込まれた。ウーゴ・サンチェスや、パコ・ジョレンテ(契約を破棄してアトレティコからマドリーに移籍した初めての選手だ)といった鞍替えした選手の存在が、さらに両者のライバル心を焚き付けた。アトレティコのカンテラで育ち、後にマドリーで数々のタイトルを獲得したラウール・ゴンサレスもそうだ。

次ページ勢いはリーガを制したアトレティコに。

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