なぜプロビンチャの鹿島がタイトル数で独走するのか? 戦力強化の「勝ち組と負け組」

2017年10月27日 加部 究

この四半世紀、鹿島だけが大きなスランプに陥らず、ブレずにコンセプトを貫いてきた。

96年の初優勝以来、リーグを8度制覇している鹿島。今季のリーグ戦を制すれば、クラブとして20冠目となる。(C) SOCCER DIGEST

 J1リーグはいよいよクライマックス。残り4試合で、首位鹿島を2位の川崎が勝点2ポイント差で追う白熱の展開となっている。鹿島が2年連続9回目の優勝を達成するのか、川崎が悲願の初優勝を遂げるのか、それともこの2チーム以外による大逆転はあるのか――。しかし、Jリーグ開幕からの25年という視点で見るなら、鹿島はタイトル数で他クラブの追随を許さない。
 
 創設から四半世紀が過ぎたJリーグの補強史を紐解けば、浮かび上がるのは戦力強化の「勝ち組」と「負け組」。典型的なプロビンチャである鹿島が成功し、大都市クラブが試行錯誤を続けている背景にあるものとは?
(※『サッカーダイジェスト』10月26日号より抜粋)
 

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 Jリーグ創設からの四半世紀は、世界でも例を見ない歴史を刻み込んだ。
 
 最も成功したクラブが、最も小さな街にある。鹿嶋市の人口は、埼玉スタジアムにほんの少しだけ収まり切らない程度で、典型的なプロビンチャである。ところが鹿島は、まったく大都市の人気クラブの追随を許さない。時代ごとにライバルは変わっても安定して優勝争いに顔を出し、間もなく20個目(リーグ、天皇杯、リーグカップが対象)のタイトルを手にしようとしている。
 
 その鹿島をタイトル数で追いかけるG大阪は、ACLというビッグタイトルを加えても9個。かつて、2強としてしのぎを削った磐田と、草創期のライバル・東京Vが7個で肩を並べ、ACL制覇の勲章付きの浦和と、鹿島とともに降格がない横浜が6個と続く。いずれにしても全クラブが鹿島の半分以下に甘んじているのだ。しかも鹿島は1996年に初めてリーグ制覇を成し遂げてからクラブワールドカップで世界2位を占めた昨年まで、万遍なくタイトルを手にしている。G大阪や浦和の初戴冠は今世紀に入ってからで、J2暮らしが長引く東京Vはもちろん、磐田も最近5年間はタイトルと無縁。20 年間にタイトルが分散する横浜も密度で及ばない。つまり鹿島だけが、大きなスランプに陥らず、計画的に戦力を整備し、ブレずにコンセプトを貫いてきたことになる。
 
 鹿島成功の根源は、言うまでもなくジーコとの出会いだ。ブラジル屈指のスーパースターは、一度引退をして現役選手としては高齢だったが、プロという未知の世界に踏み出そう とする鹿島にとっては格好の伝道師だった。ジーコは連日鬼の形相で、ピッチ内から私生活までプロとしてあるべき姿勢を説き続けた。
 
 来日当初の住友金属時代にチームを指揮していたのが、以後一貫して強化を司る鈴木満だが「とにかく相手は年上のスター。すべて教わってしまおうと割り切った」と言う。クラブの思惑通り、ジーコ効果はしっかりと浸透した。遠征に出れば、ビールで喉を潤しながら現地の名産に舌鼓を打つのを楽しみにしていた選手たちが、試合前夜は外出もせずにイメージトレーニングに集中するようになった。牽引するのが神のような存在だったからこそ、短期間にロスなく闘う集団へと変貌できたのかもしれない。
 

次ページJ草創期、ある高校の監督は「鹿島のスカウトだけは、普段の練習を見に来る」と話していた。

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