【黄金世代】第4回・稲本潤一「16歳、U-17世界選手権の衝撃」(♯2)

2017年08月24日 川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

まだまだ俺なんかちっちゃいもんやなって。

黄金世代との出会い、ジュニアユース代表での日々を紐解いてくれた稲本。最初は静岡県勢に押されっぱなしだった!? 写真:山崎賢人(サッカーダイジェスト写真部)

 年代別の日本代表に初めて選ばれたのはいつだったか。

 小6の時にナショナルトレセンの候補には入ったが、日の丸となると、中2の秋が最初だった。2年後の世界大会を目ざす、U-15日本代表の立ち上げだ。

【PHOTO】イナの語り継がれるべきキャリアを厳選フォトで

 稲本潤一は、初期メンバーのひとりだった。
 
「そうやね、いちばん最初はジュニアユース。シンジ(小野伸二)と高原(直泰)に会ったのをはっきり覚えてる。中2で、静岡のつま恋でしたかね。大阪から出かけていきましたよ。ツジ(辻本茂輝)ともうひとりと3人で」
 
 すでにガンバ大阪ジュニアユースで英才教育を施され、日進月歩の進化を続けていた。中学年代では大阪はおろか、関西全域にその名を轟かせていたが、やはり日本は広かったのだ。ある種のカルチャーショックを受けたという。
 
「言ってみれば関西のレベルしか知らなかったわけで、いざ全国に行ってみて、驚かされることがやっぱり多いわけですよ。サッカーだけじゃなく、それこそ標準語を話しているだとか、いろんな地域の文化や考え方とかにも触れて。井の中の蛙じゃないけど、まだまだ俺なんかちっちゃいもんやなって感じましたね」
 
 とりわけ一大勢力となっていたのが、静岡勢だった。小野や高原だけでなく、1学年上にも山崎光太郎や小林久晃らツワモノがいる。合宿中、イナはそのうちのひとりと同部屋になった。それが、シンジ&タカとの距離をぐっと縮めるきっかけとなるのだ。
 
「ふたり部屋でね。相棒が静岡のひとで、シンジも高原もしょっちゅう部屋に来るわけですよ。自然と仲良くなったし、すぐに打ち解けた。やっぱり静岡のひとたちって、なにかが違う。雰囲気もそうやし、それぞれがすごい自信を持って取り組んでた。人数がむっちゃ多かったんでね(笑)。しゃべれる相手が多いからそうなるんやとも思うけど、大阪から来た僕らは圧倒されてました」
 
 ジュニアユース代表は、途轍もない技巧派集団だった。小野、高原、稲本の黄金世代三羽烏でさえ、まだこのころは突出した存在ではなかったのだ。チームの中軸を担った山崎、小林、古賀正紘、川口卓哉、吉川京輔らひとつ上の世代に揉まれ、やがてレギュラーポジションを掴み、大きな自信に繋げていった。
 
ナイジェリアでファイナリストとなったチームからは、彼ら3人のほか、辻本、酒井友之、小笠原満男、曽ケ端準らも当落線上で奮闘していた。
 

次ページいやもう、この世のものとは思えんくらい強烈すぎて。

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